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現代日本の大都市のいっかく、泥酔したサラリーマンにとっては朝焼けが目に沁みるうらぶれた街角で、一匹の汚い野良犬が道を歩いていた。
「ぐるるる……」その野良犬が裏道を我が物顔で通ると、対面した犬や猫はみな踵を返して逃げていく。
その犬は獰猛な性格をしており、これまで人やカラスなど対象を問わず、相手の食糧を奪って、盗んで、を繰り返して生きてきた。
だがこの性格は、生き馬の目を抜く非情な大都会で野良犬が生き延びるのに必須のスキルだったと言わざるを得ない。小回りの利かない自分にとってこの性格そのものが、生きていくため必死で身に着けた処世術であるともいえた。
野良犬がエサの縄張りにしているチェーン店脇のゴミ箱には、大量の生ゴミが放置されていた。誰しもが奴を恐れて、まだ誰も手を付けていない様子である。
野良犬はゆうゆうとそのゴミ箱から生ゴミを漁り、やがて食いかけのハンバーガーを見つけるとそれをくわえ、その場を去った。
いつもなら公園のベンチの裏あたりの木陰でひっそりと食事タイムへと移行するのだが、今日は泥酔したおっさんがベンチで高いびきをかいて寝ている。野良犬は舌打ちせんとばかりに不快感をあらわにすると、別の場所で食事をとるべく移動をはじめた。ハンバーガーをくわえたまま。
普段滅多に渡らない川に架かった橋をのったのったと歩く野良犬。大都市にしては珍しく鏡のように水が澄んでいる川だ。
ふと横を見ると、同じくハンバーガーを口にくわえた犬がこちらを凝視しているではないか。
野良犬は自分の姿におそれを抱くこともなく凝視している相手にだんだんむかっ腹が立ってきた。
それになんだ、相手のほうがくわえているハンバーガーのほうが量も質も良さげではないか。
野良犬はピーンとひらめいた。ようしここはひとつ、自慢の吠え声で威嚇させて、相手からハンバーガーを奪い取ってやろうじゃないか。
よこしまな事を考え付いた不摂生なオタクのごとく、野良犬の目は濁った光を湛えていた。
相手は相変わらずこちらを凝視している。舐めやがって。野良犬は力の限り、吠えた。「ぅワン!!!」
すると自分のくわえていたハンバーガーが、口から離れひゅーんと川面へ落下していき……
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「うっひょー! 河川敷下りサイコー!」
「どうも! だべさぁチャンネルです! タカシぃ! そっちはOKかぁー!」
そう言われたタカシは別のボートからOKマークをジェスチャーで送る。
彼らは3人組で構成された有名ユーチューバーであり、自身が持つ「だべさぁチャンネル」では毎回おバカな企画に挑戦して、その様子をカメラに録画し、サイトにアップすることで、視聴者からの爆笑(もしくは失笑)を買ってもらうことで、再生数をのばし、その動画広告収入で日銭を稼いでいた。
彼ら3人はもはや就活すべき年齢であるが、仕事もユーチューバー1本で生きていく気満々であった。仕事なんて趣味の延長線こそが理想じゃないか、というのが彼らの出した結論であった。
彼らは2隻のプレジャーボートを借りて、明け方の河川を渡っているところであった。
運転はプロの人間に任せて、彼らのうち2人は進行方向左のボートに、タカシと呼ばれた1人は右のボートに乗っている。
タカシのボートには場違いな高級料理店用のテーブルとクロス、そして1組のフォークとナイフ、そして空のお皿がセットされていた。
カメラを回している男が自撮りしながらしゃべる。
「どうも、僕ら今回の目玉はこれ! 見てみて! わかりますかぁ? なんと本物の北京ダック1羽分ですよ、できたてですよ~アチチチ! こいつをですね、マシュマロキャッチに使われるシーソーマシンを改造した巨大なマシンで、なんと北京ダックを飛ばして、なんとタカシのいるボート上の白いお皿にですね、1発で着地させる、っていう奇跡を起こす企画をやりたいと思いまーす! 目指せ、世界一ミラクルなブレックファースト!」
説明がわかりづらかったので補足すると、玩具のハンマーを使ってシーソーの要領でマシュマロを飛ばすマシンが現在国内で販売されている。それをマシュマロキャッチ用のシーソーマシンと呼ぶ。それを参考に大幅に改造して、カナヅチでぶったたくと北京ダックを飛ばせるようにしたのが彼らの用意した巨大な特製シーソーマシンである。今回はこのシーソーマシンでボート上から別のボート上へと北京ダックを飛ばし、見事タカシのいるテーブル上の皿に載せることができれば成功、という無茶な企画である。
この3人組はおバカな企画こそがこのチャンネルのコンセプトであると信じて疑わなかった。
だからこういう突拍子もないネタを思いつく。さらにある程度の知名度を得ているから潤沢な収入もあり、こんな馬鹿な企画に破格の予算をかけることもできた。
彼らは結果がどう転んでもオイシイ、とだけ思っていた。もちろんうまく北京ダックが飛んでくれて皿に着地すれば奇跡の動画として永遠に歴史に名を刻むことができるし、まあ99%は失敗に終わると想定しても、それは視聴者も当然と考えている部分で、例えばタカシが水没した北京ダックを求めて川に飛び込む、などプラスアルファのオチがあれば撮れ高としては十分だと考えていたからだ。
自撮りしていた男はカナヅチを手にしたもう一人の男に指示する「準備はいいか」「おう! いつでもいけ……ちょっと待って、橋があるわ」
自撮り男はタカシに指示する。「タァカシー! あの橋を抜けたら早速実行するぞー! わかったかあー!」「オーケーオーケー! いつでもカモン!」
2台のプレジャーボートは河川に架かった橋をくぐった。橋の影でボートが一瞬、暗くなる。
そして橋をくぐり抜け、早朝の太陽を拝んだときである。「あれっ?」
北京ダックが跡形もなく消えていた。
タカシがフォークを振り回しながら叫ぶ。「まだかー! こっちはいつでもOKだぞー!」
北京ダックが消え、呆然とした2人組はボートの隅に落ちてた汚いゴミがたまたま視界に入った。
「ハンバーガー、の、食いかけ……?」意味もわからず2人は顔を見合わせたまま、言葉を失った。
こうして彼ら史上最高の予算額を使って撮った動画は、大失敗に終わり人知れずお蔵入りとなった。
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さて、話と時間を野良犬に戻す。
野良犬は力の限り、吠えた。「ぅワン!!!」
すると自分のくわえていたハンバーガーが、口から離れひゅーんと落下していき、川面へ落ちる刹那、ちょうど下を通過しようとしていた例のボートと接触。
いや、厳密にはボートのへりにぶつかった訳ではなく、シーソーマシンのハンマーを打ち付ける箇所にハンバーガーが直撃して、代わりに北京ダックが、ぽーんと空を舞った。
結果、橋にいた野良犬の脇に、熱々出来立ての北京ダックがドスンと音を立てて着地することになった。
いままで嗅いだことのない芳香に完全に犬の脳はヤラれて、野良犬は北京ダックにむしゃぶりついた。
ひと噛み、ひと噛み毎に滲みでる快楽物質。涙が出るほど経験したことのない、ジューシーで肉汁溢れる旨味たっぷりの高級肉であった。
野良犬は我を忘れて北京ダックを跡形もなく(それこそ骨まで)食らいつくしたあと、うとうと満足気に午睡をはじめたという。
犬は味の余韻に陶酔しつつ、目を閉じながらこう思ったそうだ。
(もっといい肉を欲しがって吠えたら、とんでもねえ肉に巡り合えた)
鋭い犬歯を微笑みで覗かせる。
(欲深いって、サイコーだぜ!)
(了)
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