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第2話
最寄り駅を降りたころには、雨は本格的にふっており、走って下宿へ向かおうか、待合室で雨止みを待とうか迷っていると、唱歌からメッセージが入った。
《そっちは、雨降ってます?》
雨が降っていることと、いま最寄り駅にいることを伝えると、
《雨の中帰ったら風邪をひきます。待合室で待っているかコンビニで傘を買って下さい。持っていないのは知っています》
というメッセージが届いた。
〈家は駅から近いし、走れなくもないけど〉
と返すと、唱歌から電話が入った。
『風邪をひいたら困りますから、そのまま待っていてください』
「でも、なかなか止みそうにないし」
『だから待っててください。わたしも授業が終わったので、いまから帰ります。わたしは傘を持ってますし』
「えっ、どういうこと?」
唱歌の家とぼくの下宿とは、反対方向のはずだけど。
『だーかーら! わたしは傘を持ってるので、濡れないでいいって言ってるんです』
「でも、ぼくに傘を渡したら、唱歌が濡れるじゃん。それなら、コンビニで傘を買うよ……って、駅の近くのコンビニは潰れたんだった」
『セルフツッコミはいいですから……とにかく、待っていてください』
「わざわざ、反対方向の電車に乗らなくてもいいって」
『…………』
「気遣いは嬉しいけど、無理しないで」
『先輩はバカですね! ほんとうにバカです!』
その大声に、思わずスマホから耳を離してしまった。
『これは先輩と相合い傘ができるチャンスだ!――とか思ってる後輩がいることも知らないで……もういいです。また風邪を引いてください。どうぞ、ご自由に』
もう夏だけれど、雨が降る夕方は、肌寒い。
「じゃあ、傘を借りてもいいかな?」
『はい? わたしに濡れろと?』
「いまから、そっちの駅に行くから。だから、唱歌を家まで送ったら、傘を借りて――って、家を知られるのはイヤだよね、ごめんごめん」
『……セルフツッコミしないでください。でも、先輩がそうしたいなら、そうすればいいと思います。べつに、家バレなんて怖くないですし。実家暮らしですし、お父さんは空手有段者ですし』
やましいことはしないって……と思ったが、いい折衷案ができたかもしれない。交通費がかかるけど、ぼくはもう一度改札を通った。
* * *
「もっと、こっち寄っていいよ。肩が濡れちゃうから」
「そっ、そうですか」
思っていた以上に、ぎゅーっとこちらへ身体を寄せてくる唱歌。
赤色の傘の下に、甘い香りのする花が咲いている。
「あたたかいです」
「…………」
「あれ? どうしました、先輩?」
「駆け出しそう」
「えっ?」
「提案しておいてなんだけど、恥ずかしくなってきた!」
「いけません」
がしっと腕にからみついてくる唱歌。上目遣いにぼくの方を見上げてくる。
そのあまりのかわいさに立ち止まってしまう。
「ふっふー、これで逃げられませんねー」
えーっとですね……お手上げです。
唱歌がべつのオトコとこういうことをしているところを、想像するだけで、車道に飛びこみたくなる。
てか、いま飛びこみかねん。悶え死ぬというのが、比喩ではなく、実感でもなく、事実として起ころうとしているっ!
そのとき――眩いくらいの夕陽が、足音もさせずに駆け込んできた。いつの間にか、雨が止んだらしい。
幸せな相合い傘タイムもこれで終わり――のはずだったのだが、なぜか、唱歌は傘を持っているぼくの手から離れない。
「いまなら……ふたりきりですけど?」
唱歌がじっとこちらを見つめてくる。その大きな目でなにかを訴えかけてくる。
ぼくは、ぎゅっと握っていた持ち手を放した。傘はふたりの間をすっと落ちて、バッと、テントのようにぼくたちを包み込んだ。
「好きだよ、唱歌」
外からはどんな風に見えているのか分からないけれど、ぼくの世界にはいま、唱歌しかいない。
「だれよりも、好きだよ」
「だれのことを、ですか?」
「唱歌のこと」
「わたしも……先輩のことが、好きですよ、だれよりも」
まだまだ、ぼくたちの世界に浸っていたかったけれど、あのひとたちなにしているのという無邪気な指摘が遠くから聞こえてきて、ちょっとずつ、もとの位置へと傘を戻していった。
もしアイツらが、これからもしつこく唱歌にまとわりつこうものなら、自分が唱歌を守らなければならないな。
家まで送り届けたあと、もう一度駅へと向かおうとしたぼくの背中に、唱歌が抱きついてきた。そして、ぼくにしか聞こえないように、こう言うのだった。
「先輩からの告白しか、受けるつもりはないですからね」
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