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第1話
大槻唱歌という、この世で一番かわいい後輩は、ぼくの知らないところで、髪型と髪色を変えた。
肩のあたりまである耳のかくれるカール気味のショートボブは、ピンクに染めてある。つむじあたりは紫のように見え、毛先に行くにつれて明るくなっていく、グラデーションカラーだ。
肩甲骨くらいまであった黒髪のストレートヘアから、大きく変化している。
えーとですね。印象が変わっても、この世で一番かわいいんですよ、唱歌は。
学食の前でこちらへ手を振っている唱歌は、露出が控えめのデニムのワンピースを着ている。白色のシューズが雲よりも栄えている。
「プラス五十円で五穀米に変えられるらしいですよ」
「ぼくは白米でいいけど」
「もう一度言いますね。プラス五十円で五穀米に変えられるらしいですよ、先輩」
それは、先週のこと。
どこからもらってきたのか、夏風邪をひいてしまったぼくは、三日間ふとんから出ることができなかった。ごはんを買いにいくことも難しかった。
こういうときのために、食料を買いだめしておけばよかった――そう思っていたとき、唱歌から「風邪はどうですか?」というメッセージがきた。ほんとうに申し訳なかったが、スポーツドリンクと二日分の食べものを、ドアノブに引っかけておいてもらったのだ。
で、そのお礼として、学食をおごることになったのだが、唱歌は思っていたよりよく食べる。
「そうだ。先輩を嫉妬させることを言っていいですか?」
「……どうぞ」
唱歌のことだ。言わなくていいといっても、言うだろうから。
「先輩が風邪をひいて寝こんでいるときにですね……わたし、後輩から告白されたんですよ」
「もう一度言ってくれる? ぼくの聞き間違いだと思うので」
「ですから、後輩から愛の告白をされたんです。付き合ってくださいって」
どこのだれだろう――候補となりそうな男のリストを繰ってみたが、思い当たる節がありすぎる。
「宇梶くんって知ってます?」
宇梶……あいつか。
ぼくと唱歌は、学部生の勉強面での悩みを聞き、アドバイスをするというバイトをしている。図書館の隅にある「学生相談コーナー」に、曜日ごとに日替わりで大学院生が座ることになっている。
一度だけ、用事のある唱歌の代わりに、午前中だけ代打をしたことがある。そのときに来た(唱歌目当ての)オトコのなかに、宇梶という3年生がいた。イケメン・チャラ男という感じで、さんざん女の子をヒイヒイと言わせてきたのだろうという雰囲気をしていた――偏見だけど。
唱歌じゃないと相談をしたくないと言うからには、やっぱり唱歌をナンパする目的だったのだろう。
「問題です! わたしは、断ったでしょうか、それとも、オーケーしたでしょうか?」
不愉快な問題だが、即答できる――のか? あの百戦錬磨の色男に、自分が勝っていると言い切れるほど自信があるのか?
「ヒントです。わたしがなんで髪型と髪色を変えたか、考えてみてください」
もしかして……あいつの好みの女の子になったとか? えっ、うそだろ?
だって、少なくとも、ぼくが原因というわけではなさそうだし。
「2つ目のヒントです。先週、先輩が送ってくれたメッセージを見返してください」
メッセージ……? 風邪をひいたから、できれば食料とスポドリを買ってきてほしい――くらいのものだったと思うが。
「あっ」
履歴を遡っていくと、こんなメッセージが出てきた。
〈食べものとスポドリありがとう。助かった〉
《いえいえ! お大事にしてください》
〈ピンクの髪のやつも、ありがとう〉
えっ? なにこのメッセージ?
記憶を遡っていく――ピンクの髪、ピンクの髪、ピンクの……紙、紙、包装?
あのゼリーか! ピンク色の包装で、金色の紐でくくられていたから、さぞかし高いものだろうと思って、追加でお礼の文面を打ったんだった。
だから正確には《ピンクの紙で包んであったゼリー、ありがとう》なのだが、意識がはっきりしていなかったせいか、変換ミスと言葉足らずの文面になっていて、しかもそれをそのまま送っていたのだ。
――ということを正直に話すと、唱歌は「そんなことだろうと思いました」と、くすくすと笑った。
「髪型と髪色は、そろそろ変えたいなって思ってたんですけど、どんなのにしようかなって迷ってたら、あきらかに誤変換の丁度いいメッセージがきたので、それを採用したわけです。では、なぜ採用したのでしょうか? はい、これがヒントその3です」
「ぼくのことが好きだから、アイツの告白は断った……とか?」
「もっ、もうちょっと、オブラートに包んでくださいっ!」
いったい、どう言えばいいんだ!
「これには刑罰が必要ですね。はい、先輩」
身を乗りだしてぼくの箸を奪い取り、トマトをつまみ、それをつきだしてくる。
「食べてください。風邪予防になります」
ええっ! なんだ、このシチュエーションは!
「もしかして、トマトが食べられなかったり?」
「食べられないものを注文するほど浅はかではありません」
「じゃあ……」
「いいから、食べてください」
「あっ、この皿に置いてくれると……」
隣のテーブルの女子グループがちらちら見ている。唱歌の後ろの運動部たちも、こっちに注目している。いまだけは勘弁を!
そんな状況に戸惑ってフリーズしていると、唱歌は箸を引っ込めた。
「ほんとうに、ヘタレです」
それから唱歌は、黙って食事を続けた。ぼくは、なにも声をかけることができなかった。
午後から授業がある唱歌と別れ、下宿先へと帰っていく。どんどんと雨曇りの空になっていく。傘を持ってこなかっただけに、早足で駅の方へと向かっていった。
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