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第1章
1
研究は根気との戦いだ。発見などそうそうなく、たとえその片鱗が見えていてもいくつものステップを登らねばならない。いや、目的とするものが見えている物があるならいい、とにかく「成果、成果」と求められるも実際は長期のスパンでないと謎の糸口すら掴めない。
吉田直道(よしだなおみち)はその只中に身を置いている。地元の中堅国立大学に所属する研究所に務めていた。
どうして、こうも退屈なんだろうな――。
だが、そこに研究に情熱を燃やす研究者の姿はない。やる気のなさが表情に出でていた。
発見などそうそうあるはずもない。単調なで刺激のない日々が続いて毎日、退屈を持て余していた。パソコンに数値を打ち込んで仮説どおりの数値が出るか、ひたすら確認する日々、やっていることはキーを叩くか部品を組み立てるかで工場労働者と変わらない日々だ。
向き、不向きで進路を決めたのが間違いだったよな――法学部に進んだものの、他人のために一生懸命に考えるということがどうも自分に合わない気がして理学研究科の大学院修士課程に進んだ袋小路がこの粒子加速器研究所だった。
宇宙規模の法則に挑むだけにその足取りは遅々としたもので、遺伝子操作でアインシュタインを蘇らせたもう一度研究してもらった方が効率がよいのではと思える。もっとも、これを人に言うと珍獣の交尾を見たような顔をされるから今は口にしないようにしている。
「すいません、なおさん。ちょっと教えてもらいたいことがあるんですけど」
ポストドクター、ポスドクのひとりが直道に尋ねてくる。聞くなら主任研究員か室長だと思うのだが、なぜか彼らは直道に意見を求めたがる。これも宇宙の法則と並んで謎だ。解き明かすのに軽く一〇〇年はかかりそうだ。
「なるほど、やっと理解できました。ありがとうございました」
ポスドクが直道に晴れやかな顔で礼を述べる。そこまで難しいことだったろうか、と思うが仕方がない直道は自他ともに認める天才だ。常人、いや研究者すら理解できないところに思考の手が届く。かといって傲慢にもならない無気力な雰囲気がちょうど天才という要素と打ち消しあうのかおおよそのところ彼の人間評価は悪くない。良くもないが。
「迷える子羊をまた一匹救って、お前は本当に素晴らしいな」
いつの間にか部屋に入ってきたのか、室長が悪戯っぽい笑みをこちらに向けた。
「いや、これって俺の仕事じゃないですよね」
「ボランティアに励むとは感心、感心」
反論もどこ吹く風、バーでシェイカーを持たせて立たせたい中年男はわざとらしく頷いて見せた。
「室長、俺をからかったらポイントが貯まって買い物に使えるとかそんな仕組みでもあるんですか」
「いや、単に私が楽しい気持ちになる」
からかう理由は楽しいからと堂々と明かす室長を直道は白い目で見た。
「なんだ、その目は」
視線に引っかかったのか、室長は表情を歪める。
「いえ、室長の評価が空から真っ逆さまの勢いで落ちているだけです」
「いや、それは地面に激突だろ。評価が地に落ちるだろうが」
直道の淡々とした返しに室長が声を大きくする。それに、室内の研究員たちの視線が集まってくる。
「室長、あまり大きな声を出してみんなの邪魔をしないでください」
直道の締め括りの言葉に、室長は唇を一文字に引き結んで拗ねた顔をした。
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