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昼休憩、研究所の食堂はそれなりの賑わいを見せる。実験施設の周辺は山林で飲食店もなく、少し離れた場所の二十四時間営業ではないコンビニまで行くのは億劫という人間が研究所関係者の大半を占めるためだ。
彼女も同じ研究室の女性研究員と食事を摂っている。話題は子どもが欲しいか欲しくないかだ。子どもを迎えに行って一度帰宅し、それから研究所、大学の研究室に戻るといったスケジュールを取る子どものいる女性もいるくらいで育児、子育てと研究の両立というのは難しい命題でそれ故に女性研究者にとっては少なからず一度は頭を悩ます問題だ。
「私、子ども好きなんだよね。でも、同じくらい研究も好きだから」
同僚は眉間に薄っすらと皺を刻みながらカレーを食べる手を鈍らせていた。どのメニューも無難な味に定評のある食堂だが、カレーはその筆頭だ。だが、ここのカレーみたいに安易に子どものことを決めることは許されない。それを自分に許す人間にはきっと子どもを持つ資格がない。
でも――そもそも、彼女は子供以前に家庭を持ちたいのかが不明瞭だった。
この日本の社会で何か仕事に打ち込んだ女性にはありがちだが、三〇歳になるまで脇目もふらずに来たため家族というものについて深く考えることなく人生を過ごしていた。
「――は子どもは好き、嫌い」
うーん、と彼女は同僚の問いかけに小首を傾げた。
「嫌い、ではないと思うけど」
好きだ、と会話の相手ほど断言できるような確固たる感情が自分の中にない。
「そっか、じゃあ焦りとかはないんだ」
「ないかなあ。理佳(りか)は焦ってるの」
「焦ってるってほどじゃないけど、迷いみたいのを覚えてるのは確かよ」
そっか、と彼女は生姜焼き定食の肉とごはんを飲み込んで小さく頷いた。同僚はいかにもキャリアを積んできたという意思の強そうな女性でそんなことを心の中で思っていたのは意外だった。
「迷いといえば、そろそろ彼氏を作る気になった?」
同僚の問いかけに彼女は心が硬直するのを感じる。
「それは」彼女にとって彼氏を“作る”という感覚があんまり馴染めない。気に入った人がいれば恋仲になれればいい、それがみずからの恋愛感だ。あらかじめ条件を並べてそれに当てはまる人物を探すという人の価値観が彼女には理解できない。
「ひどい彼氏に引っかかったのは分かるけど、ここの生活で男への積極さを失ったらいつまでも出会いなんてないわよ。って言いたいけど、あんたを狙ってる所内の人間は多いからね」
同僚は発言の後半で微苦笑を浮かべる。
「でも、少ない選択肢から最善を選ぶより、多い選択肢の中から気に入った人間をチョイスした方がいいに決まってるんだから」
そうかな、と彼女は思う。物や商品と違って、人間は必ずしもそうとは限らないと思うのだけれど。そこで彼女の視線は同僚をすり抜けて、向こうの席で室長と昼食を共にするひとりの男性研究者に向けられた。彼女は彼に興味がある。それにはとある事情があった。
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