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チャプター2
それから昼になった。企業などではありふれたレイアウトの食堂の、中央の席で直道は室長を正面にして座っていた。研究所では彼の優秀さを敬遠、あるいは妬んで他の研究員はあまり近づかない。近年の研究所の実績は直道がいてこそというのが実状だった。
「しかし、流行り廃りというのは残酷だよねえ。一般の人は想像しないけど、研究にも流行というものがある。活況を呈しているところには予算がつくが、そこから外れた分野には資金が入らない」
それは、研究者や研究所に商品を納入する業者の間では常識だった。
「どうしました、また予算縮小の話ですか」
「ま、有体に言えばそうだよ。相対性理論や量子論は宇宙の謎を解き明かすには欠かせないが、そもそも大抵のひとは世界がどういうふうに成り立っているか興味がない」
「でも、室長はそんな未来を見越してなお、ここの研究所を選んだんですよね」
直道の言葉に、室長は頬をゆるませる。が、一転その表情がなげくようなものになった。
「そういう君は、もう少し研究に意欲を持ったらどうだい」
「手を抜いているつもりはありませんが」
「だが、ベストを尽くしている訳でもなかろう」
室長の言葉には答えられなかった。否と答えるのは不誠実だし、かといって肯定するのもそれはそれで室長を失望させる。直道は研究への情熱は失せているがこの面倒見のいい
研究者のことが好きだった。直道が研究所を去らない理由の一つは、彼にあるといっても過言ではない。
「ベスト」とつぶやいて、彼は遠い目をした。彼は天才だった。必死になって心をすり減らしながら努力をするという経験とは無縁だった。
「おまえにベストなんて言った私がバカだった」
室長は失望のため息をつきながら焼き魚定食に箸を伸ばす。若干の心苦しさを感じながら直道は同じく定食にありついた。
と、食堂の出入り口を一人の女性がくぐった。それだけで空気の構成成分が入れ替わったような気配が生じる。儚げな風貌の女性が一歩一歩歩くのに、男性研究員の視線が集中した。例外は直道ぐらいなものだ。
「彼女は研究所の華だな。いつ見ても美しい」
研究所に華が必要だろうか、と心の中では首を捻りながらも直道は小さく頷く。人にはそれぞれの感じ方がある。話題にのぼったのは近藤愛加(こんどうあいか)、直道と室長と同じ研究室に所属している。
「実際のとこどうだ、おまえは彼女を狙ってるのか」
「いや、まったく」
即答に室長は一瞬唖然とした顔をした。
「あれだけ綺麗なんだぞ、少しは付き合いたいとか思わんのか」「はあ、まあ」
室長の熱に比例して直道の発言はトーンダウンする。
「おまえ、恋愛経験は?」「一度もありません」
何の躊躇もなくそう答えられるお前はもはや言葉でどうこうならんな、と室長は渋い顔で告げた。
「お前、案外、女性研究者に人気があるって言ったらどうする」
「別に何が変わる訳でもないですよね」
直道が迷いなく重ねた言葉に室長は天を仰いだ。
「それより今度の実験の件、順調でしょうか」「ああ、あれか」
直道の問いかけに嫌そうな顔で室長が応じる。
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