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「我々の研究も足踏みが続いていますから、ここら辺で成果を出さないと科研費(かけんひ)がまずいことになりますよね」
日本学術振興会の提供する研究費、科学技術研究費は彼らにとって生命線だ。
「科学のお陰で現在の文明がある癖に、具体的な利益に繋がらない研究を理解しようとしない俗物が世の中には多すぎる」
室長が眉間に皺を寄せて不機嫌な声を漏らす。
ただ、直道としてはどちらの言い分も理解できるというのが本音だ。法学という実学から科学、それも粒子を研究する分野にやって来た彼にしてみればどちらが正しいというものではない。
まあ、結局――金だよな、と直道は胸のうちでつぶやいた。
ひところ、相対性理論、量子論が流行った頃に田舎の一角に立てられた巨大な粒子加速器と付属研究所がここ倉岳(くらたけ)研究室だ。山の裾野に存在し、阿蘇がさほど遠くない場所に存在する。こうして室長と話していてもどうにも、研究所の行く末が他人事のように感じるのはそれだけ自分の心が研究から離れているからだろう。
「そういえば、思い出した。おまえ、愛加さんと一緒にいるところをうちの人間に見られてるぞ」
一緒にいるところ、と直道は渋面になる。記憶を遡るが心当たりがない。室長がいくら意地の悪い笑みを浮かべようとそれは事実だ。
こちらの表情からそれを読み取ったらしい室長は、
「おまえ、本当につまらん奴だなー」
と随分と不当な不満な口にする。
「でも、室長は面白いですよ」「喧嘩売ってるのか、君は」
本気ではないが、怒り顔をつくって室長が叱声を飛ばす。
「メリットがないじゃないですか」
「逆にいうと、メリットがあれば喧嘩だって売りそうなところが君の怖いところだ」
直道の冷静な返答に室長が苦い表情を浮かべた。
直道は夕方五時に躊躇なく帰宅する。普通の会社員が帰宅する頃に、コンビニ弁当の夕食を済ませた彼は1DKの部屋のテレビをうかがう位置のソファに座ってスマートフォンを握りSNSを通した通話のボタンを押していた。
部屋は雑然としていた。壁際は本段が一周し、それでも収まりきれない本や雑誌が床のあちこちに積み上がっている。テーブルさえ書籍にかなりのスペースを占領されていた。完全に独りで暮らす男の部屋だ。何より問題なのはこの部屋に直道がみじんの疑問も覚えないことだ。
「ナオ、地球を滅ぼす研究は進んでいるか」
「あと少しで、完成って言ったら?」
「喜んでボタンを押しに行く、地球を滅ぼした唯一の男になれるチャンスだ」
「どこが好機なんだよ」
相変わらずの兄に直道は微苦笑を浮かべる。
彼と兄の仲は周囲から見て異常にいい。互いに女性の影がなかったものだから、母親は半ば以上本気で両者の仲を疑っていた。小説家としてデビューし、コンスタントに本が出るようになって兄が上京するまで母の疑いのまなざしが向けられるのはかなり鬱陶しかった。
それにしても兄は凄い。今や兼業でないとやっていけない、とすらツイッターで作家が発言するご時世で筆のみで食っているのだから感心する。
ただ、兄に言わせると「いや、おまえもプロフェッショなるという意味じゃ俺と変わんないからな」となるのだが、何が何でも小説家になりたかった兄と適性に流されるままに現在の職に就いた自分とではまるで違うと思う。
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