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チャプター1
プロローグ
それは渇望だった。衝動だった。咆哮だった。
その末にたどりついた一つの答え、つまりは世界に罅を入れることだ。
彼は優秀さから周囲から頼りにされている。だから、皆が大きなモニターに目を奪われる中、粒子加速器の観測室のパソコンでキーを操作しても誰も気にも留めなかった。そして、すぐにこちらに意識を向けている余裕が無くなる。
火災報知器とは違う、独特の警報音が響き渡った。どうした、と学者が似合わせない研究室長が緊迫感を顔に漲らせ、実験の数値をモニタリングする平の研究員に鋭い視線を向けた。それだけで容易ならざる事態が起こったことは明らかだった。
「粒子加速器の稼働率が異常な数値を示しています」
戸惑い、室長の迫力に圧されながら研究員が声を詰まらせ気味に告げる。
「対策は」室長は室内の研究員たちを見回して声を張り上げた。
「僭越ながら、加速器の稼動に原因の特定が間に合う可能性が低いかと思います」
“彼”ほどではないが、主任研究員がなんとか冷静を保っているといった瀬戸際の表情で告げた。暗に室長に決断に求めていた。
室長もそれに気づかないほどに暗愚ではない。
上の物の失敗の責任を取るのが上司の大きな仕事だ、が彼の心情だ、ここで出せる答えうは一つしかなかった。
「総員退避だ。研究員から警備員まで全員だ」
室長の言葉に従って、館内放送に観測室の放送が繋げられ、手短に事情が説明されなるべく遠くに避難することが勧告された。
研究所、お呼び付属の施設は業火に追われていった。清潔な廊下も踏み荒らされたあとは靴跡だらけで悲惨なものだ。
だが、彼は混乱の中でトイレの個室にこもる。ここから先に起こることが彼にとっての目的に叶うかもしれないからだ。
しばしののち、粒子加速器のもたらす粒子の拡散は施設内にいた数少ない人間をもたらした。
この時点が何が起こったか、“彼”にも理解できなかった。粒子レベルに体が分解される訳でもなく、並行世界に飛ばされる訳でもない。
だが、何かが起こったことは確かだ――胸が躍る。
ただ、一つ計算外だったのは、彼には知る由もないがひとりの女性が医務室で寝ており、無責任な連中が逃げ出してその人を避難誘導し損ねたことだ。
研究所を当て所なく歩いているときに、寝惚けた表情でさ迷うその彼女を目の当たりにしたとき予定外の感情、後悔が胸に生じていた。
粒子加速器の暴走に寄与したのは実は一人ではない。彼もそのひとりだった。装置に細工をあらかじめしておいて研究所にいてもおかしくない人間として販売機のコーナーで大きめの丸テーブルについてコーヒーを啜っていた。
やがて、火災報知器の作動と誤認しないよう、やや電子的な音の警報が鳴る。
慌ただしく研究者が廊下に飛び出してくる。それぞれが建物の出入り口に殺到する。その流れに乗る。大丈夫、彼は怪しまれていない。そもそも、そんな余裕が研究員その他にはなかった。あまつさえ、「――さん、お怪我はないですか」と研究員助手のひとりがこちらを気づかってくる始末だ。
「大丈夫ですよ、みなさんの避難誘導に従いましたから」
実際のところはとてもそれは避難誘導ではなく、とにかく危機を知らせて逃げるように指示するという稚拙なものだった。知を司る研究者も危険に見舞われればこんなものだと、彼は内心で嘲笑った。
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