想い人

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想い人

「わあ、なんて素敵なの!」  侯爵家に到着して通されたそこは、広い庭からホールへと続く開放的な会場だった。  大きなホールから鳴り響く楽団の音楽は庭にいてもよく聞こえ、庭に誂えられたダンスホールで踊る人たちがいた。 「ダンスホールは室内にもあるけど、せっかくいい天気だしね、参加者も多いから外でも開放的に楽しめるようにしたんだ。ダフネ、こっちも見るかい?」  ノア様にエスコートされながら、庭から室内へと移動する。  もうすでに多くの出席者があちこちで談笑し、握手を交わしている姿がある。 「ノア様、もうその方はいらしているのですか?」 「三日前に王都に到着してホテルに滞在していると聞いたよ。ここには多分もう来て――」  ふっと不自然にノア様が言葉を切った。組んでいる腕から緊張が伝わってくる。  ノア様の視線の先をそっと窺うと、離れた場所で握手を交わし挨拶をしている一団がいた。その中には今回の主催者、ランブルック侯爵様、ノア様のお父様の姿もある。  そしてその方と話しているのは、この辺りでは珍しい銀色の長く美しい髪の人物。 「――あの方ね」  美しい髪をキラキラと反射させたその人は、切れ長な瞳をすっと細めランブルック卿や他の人々と挨拶を交わしていた。 「ノア様」  何も言わず動かないノア様の腕をグイっと引っ張ってみる。はっと我に返ったノア様が、こほんとひとつ咳払いをした。 「ご挨拶に行かないほうが不自然では?」 「う、うん、そうだね」  ノア様はランブルック侯爵家の次期当主なのだ。来客に挨拶をしないのは不自然でしかない。足が重くなった様子のノア様をぐいぐいと引っ張るように促して、私たちはその一団に近付いた。  真っ先に私たちに気が付いたのは、ランブルック侯爵様だった。   「これはこれは、ボアネル嬢ではないかな?」 「ランブルック侯爵閣下にご挨拶申し上げます。ダフネ・ボアネルです」  膝を曲げ挨拶をすると、ランブルック侯爵は柔和な笑顔で私を迎えてくれた。お顔は似ていないけれど、ノア様の物腰の柔らかさや立ち居振る舞いはお父上に似ているのね。   「ボアネル嬢、ご両親は息災かな」 「はい、お陰様でのんびりと過ごしております」 「なるほど、あなたはお母上にそっくりなのだな。まるで女神が舞い降りたかのようだ」 「まあ、ありがとうございます」  なんだかそんな事を言われては照れてしまう。この親子って似ているのね……。恥ずかしくてそっと視線を外すと、細められた薄紫の瞳と目が合った。 「久しぶりだね、エイヴェリー」  ノア様が私の横でニコリと笑顔で片手を差し出した。エイヴェリーと呼ばれたその人物は、口端を少しだけ上げてノア様の手を取った。 「久しぶりだね、ノア。元気そうだ」 「ああ、お陰様で。君は、今日もとても素敵な装いだね」 「ありがとう。君も素敵だよ」  横で聞いていてなんだかハラハラしてしまう。挨拶をしているだけなのに、妙な緊張感が漂っているのは何故かしら。ランブルック侯爵は何となく口元を手で隠し視線を外した。  あ、なんだか色々分かっているご様子だわ。   「こちらのお嬢さんもとても美しいね。ドレスもとても斬新で美しい」  エイヴェリー様がふっと視線を私に戻し、瞳を細めた。なんだか蛇に睨まれた蛙の気持ちだわ。  でもそう、私は今日、当て馬の役目を果たさなければいけないのよ! 「ありがとうございます。これはマダムオリビアで仕立てて頂いたんです」 「マダムオリビア。その名は私の国でも聞いたことがあるよ。素晴らしいデザインだね。……ノアが選んだものなのかな?」  ひやりと空気が冷えた気がした。むき出しになっている腕がなんだか寒い。 「あ、い……「そうです」ん?」  否定しようとしたノア様の言葉を遮った。ぎゅうっと組んでいる腕に力を入れると、ノア様はそのまま押し黙る。  そう、待ってノア様、今は黙っていて。だってほら私今、ものすごく立派に当て馬になれているから! 「……ダフネ?」  そこに突然、とてもとても低い声が私の名を呼んだ。  そう、今はちょっと聞きたくないその声。  そおっと振り返ると、あの夜見たご令嬢をエスコートしたまま固まるルーカス様が、少し離れた場所で私たちを凝視していた。  そう、とても怖い顔で。  
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