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恋する横顔
「お上手だ」
何度目かのステップを間違えて、頭上からおかしそうに笑いを堪える声が降って来た。
「ご、ごめんなさい、間違えてばかりで……」
俯いたまま謝ると、ふっと吐息が頭上から降ってくる。
「ステップのことを揶揄したのではない。身体が音楽を捉えるのがとても上手だ。好きなんだな、ダンスが」
エイヴェリー様はそう言うと、柔らかく私の踊りに合わせてくれる。
「は、い……。今日もとても、楽しみにしてきました」
「だが楽しそうには見えない。先ほどの紳士のせい? それとも、ノア?」
その言葉にひやりと背筋が凍った。忘れてた、私は当て馬として来たのにどうしてノア様の想い人と踊っているのかしら!
「あの、ごめんなさい、ノア様と踊りたかった……ですよね?」
「え?」
「お邪魔する気はなかったんです。その、エイヴェリー様に、ノア様と話してもらいたかったんです」
「……私が、ノアと踊る? この姿で?」
エイヴェリー様はそう言うと、ははっと乾いた笑い声を漏らした。光沢のある黒のジャケットがシャンデリアの光を跳ね返し、その肩の向こうにこちらを心配そうに見ているノア様の姿が見える。ルーカス様の姿も。
「……とても美しいです」
「ふ、ふふっ」
私の言葉にエイヴェリー様はおかしそうに笑い声を漏らす。
「あなたは変わった方だ。ノアが何か言った?」
「いいえ、ただ……とても後悔していました」
「後悔……ね」
エイヴェリー様はそう言うと視線をホールを囲む人々に向けた。きっとその先にはノア様がいるのだろう。
「あなたは私をどう思う?」
銀色の髪を靡かせながら、その人は鋭く瞳を細めた。美しい瞳だと思う。人を惹きつけ、逸らすことを許さないまっすぐな瞳。ノア様はこの瞳に惹かれたのかしら。
「初めてお会いしたのでよく分かりません。でも、とても美しいと思います、きっと心も。だって、ノア様の想う方だもの」
「ふ、ははっ! そうか、あなたは本当に……ノアが気に入るのも分かる」
「あっ、あの違いますノア様とはただの友達で……!」
「そうだろうね。ノアが君に来て欲しいと言ったんだろう。私と一人で会う勇気がなくて」
「……」
「正直だね」
またクスクスと笑うエイヴェリー様は、ふうとひとつため息をついた。
「今日を緊張していたのはノアだけではないのにね」
「エイヴェリー様も緊張していました?」
「もちろん。だからこの姿なんだ。……虚勢を張るのにちょうどいい」
そう言ってエイヴェリー様は自分のジャケットをトン、と指で示した。
すらりとした手足にフィットした燕尾服は、借り物ではなくエイヴェリー様のために仕立てられたのだと誰しもが分かるほどとても似合っている。
そして控えめに光るラペルピンには翠色の石が嵌め込まれている。それは、ノア様の瞳の色。
「ノア様にはきっとどんな姿でもエイヴェリー様が美しく映っています」
「それはどうかな」
「本当です。だってさっきも、エイヴェリー様の姿をお見かけしてノア様は固まってましたから」
遠くから見ただけでも、頬を赤くして瞬きもせず一心にその姿を見つめていたノア様。
その横顔は、紛れもなく恋をしている顔だった。
「私はお二人に何があったのか知りません。でも、どうか……お話してくれませんか? ノア様の話を聞くだけでもいいんです」
「……ここまで来たんだ、私たちは話をすべきなんだろうな」
くるりとエイヴェリー様の腕の中で回転して、何となく心が軽くなった気がした。私の今日の務めは、想像していたものとは違うけれど果たせたかもしれない。
「ところで、君はどうして嘘をついたの?」
「え?」
「ドレス。ノアが贈ったものではないだろう?」
「あ……ぇと、……当て馬に……なりたくて……」
「あてうま……当て馬?」
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