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ため息を三回
「失礼、おかわりはいかがですか?」
その人は私のグラスに視線を向け、自分の手元のグラスを掲げる。
「ありがとうございます。大丈夫ですわ」
淑女教育で学んだ笑顔でやんわりと断ると、その言葉に苦笑してその人は近くのウェイターにグラスを返した。
「すみません、スマートな誘い方ではなかったな」
「お誘い?」
「お一人のようなので……話し相手がほしいのですが、少しお付き合いいただけませんか?」
優しく微笑むその顔は、かなりの美丈夫。絵本から飛び出してきた王子さまと言ったところだ。チラチラとこちらを見て頬を染めている令嬢もいる。
「私ではなくても、お相手に困りそうにはありませんけれど」
「そういう相手を探しているのではないんです……と、すみません」
その人はポリポリと顎を掻いてばつの悪い顔をした。
「……どうして私なのです?」
「それは、あまりにあなたが興味なさそうというか」
そう言って周囲に視線を移す。その視線を追うと、なるほど周囲の子息令嬢は相手を探しギラギラと目を光らせているか、自分の恋しい人に夢中で周囲が見えていないような人ばかり。
私のように周囲に興味を持たず、ワインばかり飲んでいる令嬢なんて他に見当たらない。
「ため息」
「え?」
「ついていたでしょう」
「見てました?」
「ええ。三回」
「ずいぶん前から見ていますのね」
「ははっ! そうですね、ずっと見ていたことを自白してしまったな。美しい方がお一人でいるのを観察していただけですよ」
「まあ。お上手ですね」
「ここにいる男たちは皆思っていますよ。ドレスもとてもお似合いです。あなたの髪色にぴったりだ」
「まあ……ありがとうござい、ます……?」
(言われなれていない褒め言葉に対する正しい回答が分からないわ!)
俯いてもごもごと答えると、男性は不思議そうに首を傾げた。
「まさか言われ慣れていない訳ではないでしょう? 今日はお一人ですか?」
そのまさかです、とは言えず、とりあえずまたにっこりと微笑んでみる。男性は驚いたような顔をして、ふむ、と指を顎に掛け考えるような仕草をした。
「お相手がいるにせよ、こんなに長い時間あなたを一人にするなんて、余程の自信家か冷たい相手なんでしょうね」
「そんなこと……」
ないとは言えない。
答えに窮していると、その男性は柔らかく微笑み一歩後ろに下がると、手を胸の前に当てて礼を取った。
「失礼、ご令嬢。私にあなたと踊る名誉をお与えくださいますか」
まあ! と、周囲にいた令嬢からサワサワと声が上がった。みんな、彼のダンス相手を狙っていたのね。分かるわ、確かに美丈夫だものね。
「あの、私……」
でも、婚約者ともまだ踊っていないのにそれは不味いのでは。
そう思ってルーカス様がいた入り口に視線を向けると、そこにはもう彼の姿も令嬢の姿もない。話が終わっても私の元へ戻っても来ないのね。そう思うと急に胸の奥がズンと重くなった。
「……僕を助けると思って、お願いします」
私の顔色が青くなったのを知ってか知らずか、男性は囁くように私に声を掛けた。このまま一人でいても虚しくなるだけだ。
それならせめて、一曲踊るくらい問題ないだろう……。
私はそっと、差し出されたその白い手袋に手を乗せた。
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