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「今まで誰の話も受けなかった兄さんが、って僕たち嬉しくて」
トアたちが心から喜んでくれているのがわかる。苦界に身を沈めた者からすれば、大金を積んで自分を引き受けようとする客は神様のようなものだ。
身内同然に可愛がってきた皆が喜んでくれるのは嬉しい……、だが。
「トア、身請けの話は誰から聞いた?」
「えっ? 父さんです」
俺はまっしぐらに、館主の部屋に駆け込んだ。いきなり大きく扉を開けても驚きもせず、館主は机の上の帳簿を睨んでいる。
「親父! 聞き捨てならない話を聞いたんだが」
「まあまあ、大声を出さずに一息入れなよ。どうせお前は、ここ何日も茶を引いてんだし」
のんびりした口調で館主が言う。腹立たしいが事実なので、ぐっと息を飲み込んだ。長椅子にどかっと座り込むと、奥から茶が運ばれてくる。一口飲んだらふわりと甘く花の香りがした。飲み干したところに、館主が帳簿から顔を上げる。
「それは、お前さんの客からの差し入れだよ。あの黒づくめの男だ。トアにも渡してあるからね」
トアと聞いて、俺は早速、身請けの話を出した。普通は贔屓客から館主に申し出があって、本人に話が伝わる。こちらがお受けしますと言ってから話が広まるのだ。
「俺、何も聞いてないんだけど」
「サーラ、お前いくつになる?」
「……今年で二十三」
館主はじっと俺を見た。男の鋭い目が柔らかくなる。
「今まで何回、身請けを断った?」
「……えっと、三回かな」
「もう十分だろう。お前はこの話を受けるのが一番いい」
館主の言うことは、もっともだ。若い時なら身請けを断っても、逆に自分の値が吊り上がることもある。だが、この年では話があるだけ儲けものだ。先方は、俺さえよければすぐにも迎えに来ると言う。
「向こうが全部支度するから身一つでくればいいと言っている」
「わかった」
気が抜けてしまって、身請け先のことを詳しく聞く気にもなれなかった。とぼとぼと廊下を戻っていくと、裏口からクマルが入ってくる。俺の顔を見ると、クマルは目を瞬いて困ったような顔をした。
……ああ、そうか。話を聞いたんだな。こちらから頼んでおきながら、仕事の打ち切りとは申し訳ない。給金を弾むようよう館主に頼まなければ。
「クマル、短い間だけど世話になったな」
「礼を言われるほどの事じゃない」
「いや、お前のおかげで助かった」
「サーラ、その……。あ、相手の事は聞いたのか?」
「? 何も」
クマルがじっと、俺を見た。
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