1.遠い日

2/5
403人が本棚に入れています
本棚に追加
/20ページ
「あいつに手を縛られてたからだよ。普段そんなことは言わないのに珍しい、新手の遊びだと思ったのがいけなかった。たまにはいいかと思ったら」  俺は両手をクマルに向けて差し出した。手首にはくっきりと、縄の青黒い痕が残っている。クマルが布団をめくり上げると、裸の俺を見て息を呑んだ。  体中に残る、無数の吸いあげられた痕。一つ二つなら色っぽくうつるものだけど、数が尋常じゃない。昨日の客が俺の中に放ったのは一度きりだ。男娼に奉仕させることもなく、ひたすらに俺の体を舐め、吸い上げ続けた。噛み痕がいくつも残っている。 「……叫び声を上げたらよかったのに」 「よく見ろよ。噛み痕が付いてんの、腿の内側ばっかりだろ? アレに噛みつかれたらと思ったら、ぞっとした。下手に声なんか出せないっての」  俺が大きく股を開くと、クマルが顔を歪めた。下手な真似をしたら、それこそ大事な賜物を噛みちぎられていたかもしれない。穏やかで大人しい客だったのに、昨夜は明らかにおかしかった。  クマルは主人の元に報告に行くと言って、すぐに部屋を出ていった。  ああ、これであの客の出禁は決まりだ。この娼館では、売り物に傷をつけた客は二度と通うことが出来ない。傷がついたらしばらく使い物にならなくなるし、そんな状況にさせないのがこちらの腕の見せ所なのに。    お前は何年経ったら客あしらいが上手くなるんだ、とまた館主に怒られるだろう。思わず大きなため息が出る。  客の様子がおかしいのに気づいてからは、甘えて宥めて、ようやく腕に巻いた縄を外させた。どっと疲れて動けないのは、緊張感と恐怖心からだと思う。  館主と薬師がやってきて、俺は二日ほど休んでろと言われた。噛み痕に軟膏を塗られ、治りを早くするよう苦い薬を出される。嫌々飲んでいると、若い薬師は眉を顰めた。 「結構、強く噛まれてますね。痛かったでしょう」 「あいつ、やめろって言っても全然聞かねえんだ。……何で皆、ああなっちまうんだろう」 「そんな客が、貴方に何人も付いているのがすごいですけどね」 「……ほんとにな」  俺は今年で二十三だ。男娼の春は短い。もう客が付いてないのが普通なのに、何人もの指名客がいる。それはたぶん、この髪と瞳のせいなんだろう。さらさらと流れる銀の髪に碧の瞳。失われた古い一族の色が、彼らに執着を起こさせる。 「あーあ。いきなり寝てろって言われてもな」 「普段ろくに寝てないでしょ! しっかり休んでくださいね」  仕方なく俺は寝台に横になった。目を閉じたら、あの瞳を思い出せるだろうか。暗闇が怖くなくなるだろうか……。俺の心の奥に灯る希望。  誰もいない部屋で、俺は仕方なく目をつぶった。
/20ページ

最初のコメントを投稿しよう!