第一話 死ねない呪い

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第一話 死ねない呪い

 チョークの音と教師の声。眠気を誘うそれらに彼女は耳を傾けながら、小さく寝息を立てて眠っていた。  教師の説明が止まる。それから数秒して、彼女の頭は教科書の角で思い切り叩かれた。 「ゔっ」 「おはよう冬月(とうづき)、俺の授業はそんなに寝やすいかい?」 「え…おはようございます」 「挨拶が出来るのは良い事だ、よし!お前は後で裏池の掃除な」 「えぇ……」  彼女、冬月智世(とうづきちせ)はとても嫌そうな顔をする。それを見たクラスメイトたちが一斉に笑い出して、授業は終了となった。  昼休みになり、生徒や教師たちはそれぞれ好きな場所で昼食を食べ始める。しかし智世は教師の言いつけを守り、教師と共に校舎裏の池へと訪れていた。  裏池と呼ばれるそれは広さこそ立派だが、実際は目に見えて水が濁っていて、缶やペットボトル、ビニール袋などのゴミ類が所々に浮かんでいる。お世辞にも外部の人間には見せられないだろう。  確かにこれは掃除が必要だが、だからと言ってそれをこちらに押し付けないで頂きたいと、智世は陰ながら文句を言う。地獄耳の教師が「なんだって?」と圧をかけてきたので、智世は「なんでもありませーん」とシラを切った。 (仕方ない、とっとと終わらせるか)  智世は腕まくりをして、目の前にある池に手をかざす。  すると、池の水はあたかも自分で動いているかのように、宙へと浮かび始めた。それらはやがて頭上の空へと集められ、大きな球体を成す。  池の水を全て空中に持ち上げて、智世は潔くゴミなどを拾っていく。実に合理的な方法だが、誰もそれを行おうなどとは思わない。出来ないから。  物質を自由自在に動かす為には、必ず自身の魔力を込めなければならない。対象物が小さい物であれば簡単だが、それが大きかった場合、当然より多くの魔力を必要とする。  本人は平然とやっているが、常人であれば、池の水を全て持ち上げて、尚且つその状態を維持するだなんて出来るはずもない。現に魔法専門の教師とて、そんな芸当は出来るイメージさえ湧かない。 「はぁーほんっとお前、出来ることだけは多いんだよなぁ。なーんでそれで壱なんだか」  教師は昼食のパンを食べながら、それを不思議そうに呟いた。  魔法使いの評価形式は壱〜伍の五段階評価、壱は最低ランクにあたる。智世よりも確実に高い階級であろう教師だが、先程智世が行った芸当は出来ない。教師が不思議がるのも無理はないだろう。  だが世の中には、知り過ぎない方が良いことが掃いて捨てるほどあるわけで。 「おや、飛鳥(あすか)先生。こんな所に居たのですね」 「っ!理事長っ!?」  やって来たのは、上品なスーツを着こなしている背の高い男性。年齢は、二十代後半と言ったところだろうか。上背が高く、前髪をワックスで横に分けたことにより端正な顔立ちがよく見えるため、同級生からは大人の風格があると好評だ。  彼の名は黒月荊真(こくげつけいしん)。若くしてこの学校の理事長を務めている彼は、ニコニコと笑って手を後ろで組み、悠々と教師の元へ歩いてくる。 「先程、鳴神(なるかみ)先生が探していましたよ。どうやら次のテストで話したいことがあるようで…」 「分かりました、すぐに行きます。じゃお疲れ、もーメシ食って良いぞ」 「はーい」  教師はいそいそと黒月の脇を抜けて校舎に戻っていく。その姿を満足したように見送ってから、黒月は当然のように智世へと声を掛けてくる。 「危ない所でしたねぇ、もう少し危機感を持って下さい?智世」  黒月という男の笑みはいつだって胡散臭い。決して腹の中をこちらに探らせないその薄ら笑いを、智世はあまり好まない。  加えて、黒月は智世のとある秘密を知っている。 「貴方の壱は、拾の隠語なのですから」  ノアの方舟以前、魔法使いの評価形式は十段階評価で統一されていた。それが現在は魔法形態の劣化により、五段階評価が採用されている。  しかしこれはよく見ると、五段階評価を超える魔法使いは階級の付けようがない、という大穴が存在する。  陸以上の大魔法使いの存在は大きな混乱を招きかねない。故に黒月は智世本人の意思も汲み、階級の偽装を認めている訳だ。  勿論、これは黒月にも莫大な利益がある。 「何の御用ですか、理事長」  智世がぶっきらぼうに尋ねると、黒月はニンマリと唇を横に広げて言った。 「ですよ、真東の集落が特定されたようです」  地上の大半が化け物に占領された今、大半の人間は"女神の森"に集落を作っている。  女神の森は女神様が創りし特別な森。外部から隠すことに特化したそれに、化け物たちを退ける効果は無い。外部の影響で容易に壊れてしまう脆弱なものだ。  黒月は智世に時々、こういった仕事を頼む時がある。智世が生徒で、黒月が理事長である以上、返答は決まっている。 「……了解しました」  ・・・。  地下鉄から目的の駅に降り立つと、既に地上では土煙が舞っていて、人々の凄惨な悲鳴が聞こえてきた。  外はまさに阿鼻叫喚だった。力ある者が防御魔法を発動しても、化け物たちは何の躊躇もなく、その魔法ごと人々を虐殺している。  人々の暮らしてきた家や寺子屋、神社や墓石などが取り留めもなく破壊し尽くされ、それがまた人々の心を苦しめていることだろう。  子供を授かった夫婦は、夫が妻を支えながら何とか足を進める。そこへ予想通りと言わんばかりに、巨大な化け物が通りかかった。  化け物の鋭利な爪先は、容赦なく夫婦を目掛けて振りかぶられる。妻が両目を瞑って悲鳴を上げた時、とある人物が手をかざしたことにより、目の前から轟音が発せられる。  妻は恐る恐る目を開ける。そこには夫婦を守る強力な防御魔法が展開されていて、それが化け物の爪先を受け止めていたのだ。  夫婦の驚きを無視するかのように、智世は夫婦の足元で転移魔法を発動させ、夫婦を安全な場所へと避難させた。  化け物は獲物を奪われたことが気に入らなかったのか、ゆっくり智世に振り向くと、突然凄まじい咆哮を上げて再び爪先を振りかぶった。 「"風削(かぜそ)ぎ"」  だが、化け物の攻撃が届くよりも速く、智世は風魔法で化け物の上半身を抉り切った。致命傷を負った化け物は倒れ、やがて塵になっていく。  その集落を襲ってきた化け物たちを一掃した智世は、集落の人々からこれでもかと感謝され、行きと同じルートで自分の集落へと帰ってきた。  駅を出て寺子屋を目指していると、智世の頭には片手で握れるくらいの小石が投げ付けられる。振り向けば、そこには普段から智世のことをコネだと馬鹿にしてくる同級生が、三人ほど笑っていた。  智世は表情一つ変えることなく、それらを無視して歩き出す。その様子が気に食わなかった同級生は、たまたま近くにあった鋭く尖った石を投げ付け、それが智世の頬を切る。  それに気が付かず、智世は寺子屋で黒月への仕事報告を終える。 「成程、問題は無かったみたいですね」 「でしたら、私は失礼します」 「待ちなさい」  黒月は切り傷のある頬に優しく手をかけて、些細ながらも回復魔法を施した。じんわりとした暖かい感覚と共に、先程から頬にあった小さな痛みが跡形もなく消え失せる。 「帰り道は気を付けなさい、いつ、何処で、誰に、何をされるか分かりませんから」 「…余計なお世話です」  智世は黒月の胡散臭さに気を悪くして、それを包み隠さず表情に出す。しかしそこを教師に見られてしまい、教師は二人の関係性を戸惑った様子で尋ねてきた。 「智世は親戚の子でして、どうにも他の生徒より可愛く思えてしまうんです」 「身内贔屓(びいき)はやめて下さい、マジで」  さりげなく黒月の手が智世の肩を抱いていたので、智世は仏頂面でそれを払う。黒月はもはやその態度にも慣れた様子でかぶりを振り、教師の要件を聞くことにした。 「それで、何か御用でも?」 「それが……お昼頃から、翔太(しょうた)くんの姿が見えないんです。探して頂けないでしょうか…?」 「ふむ…」  当然の如く、黒月の視線が智世に向けられる。智世は嫌がりながらも溜息をつき、黒月の意図を汲んで見せた。  次の瞬間に智世が発動させたのは、広範囲な探知魔法。集落だけではなく、森の隅々まで範囲を広げたが、それらしい存在は感じられない。 「居ません、この森の何処にも」 「まさか…」 「行ってきます」  黒月が呟くより前に、智世はその可能性に気付いていた。  森の中に居ない。なら考えられる場所は、森の外。化け物たちが蔓延る荒廃した世界で、たった一人の子供が無事で居られる訳が無い。  探知魔法の範囲を森の外まで広げると、一人だけ、子供の反応があった。  その子供は必死に森の外を逃げ回り、遂には小石に躓いてしまい、今まさに化け物に食べられようとしていた。  化け物の大きな手にがっしりと掴まれて、もはや子供は逃げられない。視界のほとんどが化け物の口内で埋められて、子供は悲鳴を上げる。  そこへと智世が駆け付け、化け物の頭と手を風魔法で切り落とす。下落した子供を両手で抱えて、智世は言った。 「だからやめろっつったんだ」  原則として、集落に生まれた人間は森の外へ行くことを禁じられている。だがいつの時代も居るのだ、この子供のように、ルールを守らずに馬鹿な死を遂げる世間知らずが。  化け物は切り落とされた体を再生させ、智世に向かって振りかぶる。智世は子供を自分の後ろへと下ろし、前方に防御魔法を展開した。  だが、化け物の腕が空振りした時、見えぬ斬撃が智世の防御魔法をすり抜けて、彼女の腰から肩までを切り付ける。  それには流石の智世も驚いた。だがすぐに理解する。 (防御魔法に異常は無い、当人に届くまでは実態が無い"呪い"か)  呪いとは、生物を殺す為だけに開発された魔法。魔法学校である以上それを学ぶ機会はあるが、同時に決して人に向けてはならないと教えられている代物だ。  その時、智世の唇が鋭利に歪む。 「悪いが、私の得意科目は呪いなんだ」  智世は子供を置いて、大胆不敵にも化け物へと近付いた。  当然、化け物はそんな智世に容赦なく呪いを浴びせ続ける。だが智世の歩みは止まることを知らず、どんなに血を流そうとも無言で距離を詰めてくる。その姿は狂気にも等しいものがあった。  化け物が本能的に逃げようとした時、智世は防御結界で化け物と自分を囲んだ。化け物の扱う呪いでは、魔法を壊すことは出来ない。 「終わりだな」  智世が化け物の目の前までやって来て、掌をかざす。発動したのは炎魔法、"炎湖(えんこ)"。  化け物は焼き尽くされて、灰となって離散する。智世はそれに背を向けて、子供を抱き上げて言い聞かせた。 「帰ろう、後で理事長からたんと説教を受けるんだな」  その姿は子供から見ても満身創痍。全身から血が流れ出し、服は破れて真っ赤に染まっている。自責の念を自覚した子供は、封を切ったかのように号泣して謝った。 「ごべぇぇんっ、えぐっ、ごえぇぇんなさぁぁいぃぃいっ…!!」 (あーあ…)  智世は戻りながら、子供の背中をトントン叩いてやる。 (これだから呪いは嫌いなんだ)  彼女の名は冬月智世、またの名を、「泰然自若(たいぜんじじゃく)の虐殺者」。  千年前に"死ねない呪い"を掛けられた、この世で最も呪いを呪う大魔法使いである。
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