キックオフ

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 翌日は休みだ。政は少し、気晴らしに歩く事にした。休日はたいていそうしている。歩いていると、日々の疲れが取れる。そして、気分が晴れる。引退して以降、こうして散歩する日が増えた。そして、こんな日もいいなと思っている。  政は静鉄電車に乗った。静鉄はここ最近で大きく変わった。電車は急速に新しい電車に置き換わり、いらなくなった電車の一部は福井や熊本に譲渡されたという。ここまで静鉄電車は変わってしまうとは。ここから先はどうなってしまうんだろう。つくづく考えてしまう。  長沼の車両基地を見ると、様々な電車が停まっている。日に日に昔の電車は少なくなり、新しい電車に変わっていく。だけど、長沼駅の構内は変わらない。  政はその先の御門台(みかどだい)駅で降りた。この駅は少し高台にある。静鉄電車はほとんどの区間で東海道線と並走しているが、ここからは全く見えない。高低差があるからだろうか? ホームは狭い。静鉄電車のホームは狭いのが多く、柵があったり、島式を改良して対向式にして、上下線を分離した駅もある。ここは柵のある狭い島式だ。そして、駅舎も上下線の間にある。 「今日はここで降りてみよう」  改札を降りると、駅舎の前に駅がある。上下線の中にホームがあるようだ。政は踏切に渡って、高台に向かった。今日は晴れで心地が良い。そして富士山もしっかりと見える。これほど美しく富士山が見えるのが、この街の自慢だ。やはりここでの生活は最高だ。 「いい天気だなー」  政は公園に差し掛かった。公園では子供たちがサッカーをしている。だが、政は遊ぶどころか、見ようともしない。もうサッカーなんてやらない。駄菓子屋と屋台のおでんでひっそりと生きるのがいいだろう。  その時、サッカーボールが道に転がってきた。スポーツ刈りの少年がそれを追いかけている。 「あっ・・・」  それに反応した政は走り、素早くボールを取った。少年はそっちにやってくる。 「お兄ちゃーん、ごめん!」 「これ?」  政はサッカーボールを持っている。だが、渡そうとしない。公園に向かった。スローインをするようだ。 「うん!」 「投げるよー!」  政はライン際から、現役選手さながらにスローインをした。すると、子供たちは再びサッカーを始めた。それを温かく見守ると、政はすぐに公園を後にした。もうこの子の遊びにはついていけない。  政は少し歩いた後、御門台駅に戻ってきた。程なくして、新清水行きの電車がやって来た。今度の電車は青色だ。新型電車は基本カラーが定まっておらず、カラフルだ。まるで京王の井の頭線のようだ。  終点の新清水駅に着いた。かつてはこの駅の前の道路を路面電車が走っていたらしいが、今ではその痕跡が見当たらない。政はここから海沿いにあるエスパルスドリームプラザに向かおうと思った。1984年に廃線になった清水港線の清水港駅跡にできた施設で、地元の人だけではなく、観光客も来ている。  エスパルスドリームプラザまでは少し歩く事になる。無料のバスがあるらしいが、普通は歩いて向かっている。今日も歩いて向かおう。  目の前の国道に沿って歩いていくと、海に面したショッピングモールが見えてきた。これがエスパルスドリームプラザだ。建物には、清水エスパルスのマスコット、パルちゃんのイラストがある。政はそれを見て、一流選手を目指した頃を思い出した。 「はぁ・・・」  静岡で生まれ、中学校まで静岡で育った俺。いつかは清水エスパルスに入団して、故郷のために頑張りたかったな。だけど、もうかなわない。 「いつかここでやりたかったな。故郷で錦を飾りたかったのに。プロって厳しいもんだな」  政はテルファーの向こうから海を見ていた。このテルファーは、清水港駅があった名残で、貨物列車へ木材や石炭などを積み込むための荷役機械として使用されたそうだ。使われなくなり、清水港駅もなくなった後は、エスパルスドリームプラザのシンボルのように残されている。そしてこのテルファーは、国の登録有形文化財に登録されている。 「あれっ、まさやん!」  誰かの声に政は振り向いた。中学校時代の同級生の今井だ。中学校を卒業して以来、全く会っていない。まさかここで再会するとは。 「あっ、今井くん!」  政が手を振ると、今井も手を振る。久しぶりの再会に、今井は笑みを浮かべた。 「元気にしとった?」 「うん」  政も笑みを浮かべた。久しぶりに友達と再会すると、なぜか笑みがこぼれてしまう。どうしてだろう。 「あれから何をしてるの?」 「昼は駄菓子屋で、夜はおでん屋台をやってるよ」 「そっか」  今井は下を向いた。戦力外通告になり、引退したと聞いたが、まさかこんな事をやっているとは。 「プロって厳しい世界だよなって思ってる」 「確かに。まさやんなら、代表になれる、ヨーロッパに行けると思ってたと思ってたんだけどなー」  今井は信じていた。政はサッカーの才能があるから、代表になれる、ヨーロッパに行けると思っていたのに、ふたを開けてみたら、レギュラーにも届かなかった。プロでレギュラーになれなかった政を知って、プロサッカーって厳しい世界なんだなと実感した。 「俺には無理だったんだなって。俺は、こうやってひっそりと生きるのがいいのかなって」 「実力だよ、実力! まさやんは天狗になってたからすぐにクビになったんだろう」  確かに政は天狗なところもある。少しでも頑張れたら、天狗になってしまう。だけど、そこがかっこいい。 「うーん・・・、そうかもしれないな」 「天狗にならなければ、一流になれたのかな?」  あの時俺は天狗だった。天狗にならなければ、俺の人生は違っていたかもしれない。今でもサッカー選手をやっていて、代表になり、ヨーロッパに行っていたかもしれない。 「うーん、どうだろう」 「まぁ、まさやん、これからの人生、頑張れよ!」  今井は肩を叩いた。今井も政のこれからの人生を応援しているようだ。政は思った。今度は僕の屋台に来てほしいな。そして、酒を飲みながら普段の日々を語ってほしいな。 「うん!」 「また会おうな!」 「じゃあな、バイバイ!」 「バイバイ!」  2人はお互いに手を振った。今井はエスパルスドリームプラザを後にした。政はしばらく海を見ている。海の向こうには富士山が見える。富士山を見ていると、心が和んでくる。どうしてだろう。心のよりどころだからかな? 政にはわからない。  数日後、政はいつものようにおでんの屋台を営業していた。ここは大きな道路から少し入った所にある隠れ家のような所だ。様々な人がやってくる。 「らっしゃい!」  と、1人の男がやって来た。小学校と中学校で一緒だった田中だ。政と同じくサッカー部で、政がプロに入った時にはとても喜んだという。だが、あっという間に引退してから、全く会っていなかった。 「あっ、まさやん!」  政は驚いた。まさか、田中が来てくれるとは。あれから、どうしていたんだろう。大学に進学したっていうのは聞いたが。 「あっ、ひろくん、久しぶりじゃん!」 「ちょっと来てみた」  田中は笑みを浮かべ、椅子に座った。仕事帰りにいっぱいしようと思っているようだ。 「ケガして引退してどうなったんだろうと思ったけど、ここで頑張ってたんだな」 「うん。もうプロの世界なんてこりごりだ。厳しいもん」  政は少し下を向いた。もうプロの世界なんてこりごりだ。 「そうだよね。あっ、瓶ビール1杯ね」  政はすぐに瓶ビールとコップを出し、瓶ビールの栓を抜いた。 「あいよ!」 「どうぞ! 来てくれたんだからお酌するよ」 「ありがとう」  政は瓶ビールをコップに注いだ。本当は客がやるのだが、今日は特別だ。久しぶりに田中と再会したんだ。来てくれてありがとうの思いを込めた。 「俺にもやってよー!」 「はいはい」  と、横にいた同僚と思われる男もお酌をお願いした。政は言葉に甘えて、その男にもお酌をした。 「まさやん、大根となるとと牛すじちょうだい!」  政は、田中の注文した品をすぐに出した。 「どうぞ。ひろくん、今、何やってるの?」 「小学校の教員をしながら、少年サッカーの監督してるんだ」 「ふーん」  田中は大学を卒業後、小学校の教員をしている傍ら、少年サッカーの監督をしているそうだ。田中の夢は、自分の卒業生からサッカー日本代表が出て、ヨーロッパで活躍する事だ。生徒からも、部活のメンバーからも信頼が厚い。  だが、政は全く興味がないような表情だ。もうサッカーは諦めた。大きな夢を持てば持つほど、うまくいかなかった時の絶望が大きいんだ。僕はもうサッカーはやらない。ただのファンなんだ。 「どうしたの? もうサッカーに興味ないの?」 「興味ないんじゃなくて、もうサッカーは諦めたんだって。こういう風に、駄菓子屋とおでんの屋台でひっそりと生きるのがいいかなって」  変わってしまった政を見て、田中はがっくりした。あんなに大きな夢を持っていた政が、全く夢を持たなくなってしまったとは。引退しただけで、こんなに人が変わるとは。 「そっか。俺はいつも子供たちに囲まれて、楽しい日々を送ってるよ。子供たちにサッカーを教えるって、いいもんだなって。いつかこの中から、ヨーロッパに行ったり、日本代表になったりする人が生まれないかな?」  田中は子供たちに囲まれて、笑顔であふれている。子供たちと交流し、教えるのが楽しい。そして子供たち成長していくのを見るのが好きだ。毎日が夢であふれている。 「生まれたらいいよね。できれば、俺の思いを受け継いで、なってほしいね」 「でしょ?」  政は思った。あの時、僕がかなえられなかった夢を子供たちは引き継いでくれればいいな。だけど、絶望してどん底に落ちてほしくないな。 「うん。駄菓子屋に出入りする子供たちを見ていて思うんだ。そんな子の中から海外で活躍して、日本代表になる人が出てこないかなって」 「確かに!」  そして政は思っている。この駄菓子屋に出入りする子供たちの中から、日本代表や海外組が出てこないかなと。 「うーん、でもなー」  だが、政はうなった。何かを思い出したようだ。 「どうしたの?」 「そんな中で、本当に一流になれる子って、ほんの一握りなんだよな」 「確かに」  政は知っていた。プロ入りしたとはいえ、一流になれるのはほんの一握りだ。そして、日本代表になれるのも、ヨーロッパに行けるのもそのさらにほんの一握りだ。 「俺はその一握りになれなかったんだなって」 「うん」  田中は同感した。確かに、プロ入りしても一流になれずに、ひっそりと戦力外になり、引退した選手もいる。プロ入り前は期待されていたのに、ふたを開けてみたらそんなに活躍できなかった。そんな選手は多くいる。そして自分もその1人だ。 「プロって、厳しい所なんだなって」  田中はビール飲みながら、その話に聞き入っていた。 「まさやんの言ってる事、よくわかるよ! でも、こうやって第二の人生を送っているまさやん、好き!」 「ありがとう。お礼にもう1回お酌したる」  そして、政は再びお酌をした。 「おー、サンキュー」 「先生も、監督も頑張れよ」  と、政は田中の肩を叩いた。田中はとても嬉しくなった。政も応援している。もっと頑張らなければ。 「ああ。まさやんも頑張って」 「うん」  久しぶりに田中と出会った。それだけで本当に嬉しい。だけど、夢を持つのはもうやめた。
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