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「オイラ、迷い犬なんだ」 「……まよ……?」 「人間でいうところの、迷子? とにかく、ご主人様とはぐれてしまった。だから、オイラをご主人様のところへ連れてってくれないか?」  自分の眉間にしわが寄るのが分かった。迷子ならぬ迷い犬を、犬嫌いの俺が飼い主のもとへ届けに行く? 冗談じゃない! 「勘弁してくれよ。犬嫌いだって言ってんじゃん。お前を連れて歩くなんて、考えただけで泡吹いて倒れそうだ」 「まぁそう言うなって。オイラとお前さんの仲じゃないか」 「犬猿の仲な……って誰が猿だよ」  尻もちをついた状態から、俺はようやく立ち上がった。あー、痛かった。こんなクソ犬の戯言なんて放っておいて帰ろう。 「あーあ、最悪。弁当グシャグシャじゃん」  コンビニで買った弁当がさっきの尻もちで潰れてしまっていた。なんてついてない日なんだ、今日は。 「おいー、どこ行くんだよー。オイラをご主人様のところへ連れてってくれよー」 「うるせぇな。犬は嗅覚が優れてんだろ? におい嗅いで自分で帰れ」 「そんなこと言わずにさぁ。ほら、首にドッグタグ付けてるからさ。そこに書いてある住所までオイラを案内してくれよぉ」 「ヤだね。俺は今忙しいんだ。ほか当たってくれ。あ、コラ。足元ウロウロするな!」  ちっこい毛玉が俺の足にまとわりつく。軽く払っていると、コソコソと話す人の声が聞こえた。 「あらやだっ。かわいいワンちゃんを蹴ってるわよ。これって警察に電話した方がいいのかしら」 「そうね。明らかに動物愛護法に違反してるわよね。あんなにかわいいのにどうしてあんなことするのかしら」 「しかもなんかひとりでブツブツ言ってる……怖~」  スマホを俺に向ける人、嫌悪感を露わにする人、指を差す人……道のど真ん中でひとりブツブツ言いながら堂々と虐待をする人間認定をされてしまっている。いや、違うんだ。この犬、喋るんだ。そして俺は犬が嫌いなんだ! 「どうする? このままだと通報されて警察に捕まるよ? おとなしくオイラをご主人様のところへ連れてった方が平和だと思うけど」  犬は俺以外の人に聞こえてないのをいいことに喋りかけてくる。どことなくニヤついた顔をしているように見えてイラっとする。  いや、でも、こんなので警察に連れてかれるのは嫌だな……事情聴取されて「犬が喋るんです」って言っても余計変な目で見られるだけだろうしな……ここは歯を食いしばってヤツの言う通りにするしかないか。 「くっ……わかった……ちょっと失礼……」  しゃがみこんで首輪に付いているドッグタグを確認する。一枚目には『ゆき』、二枚目に近所の住所が彫ってあった。周りに聞こえないように小声で話す。 「お前、ゆきっていうのか」 「おうよ。なぁ、抱っこしてくれない? 走ったら疲れた」 「はぁ? 甘ったれんな! 自分で歩けよ」 「……ここでオイラがか弱い声で鳴けば周りがざわつくけど?」  なんて犬だ! 目を見開いてヤツを見れば、どことなく勝ち誇った顔で鼻歌なんか歌っている。クソッ! 見るのも嫌なのに触れるだなんて!  心の中の天秤がグラグラと揺れる。警察か犬の案内か。牢屋か犬の飼い主の家か。裁判所か犬小屋か。 「……オーヨシヨシ。ダッコシテ、オウチニ、カエリマショウネェ」  きっと今の俺の顔は苦虫を嚙み潰したような顔なのだろうが、このミッションさえ終わればもうこの犬と関わることなんてないだろう。一回だけ一回だけ……と思えばなんとか耐えられそうだ。  しゃがんで両腕を犬の前に出す。持ち方がわからない。すると犬は自ら俺の腕に乗ってきた。 「このままゆっくり立て。大丈夫だ。オイラは噛んだり暴れたりしない」  急に乗ってきたもんだから危うくぶん投げそうになった。やけに落ち着いた犬のおかげで踏みとどまる。言われた通り、俺はゆっくり立ち上がった。 「おお、お前、結構背が高いのな。オイラ、こんな上から地上を眺めたことないぞ」  犬はうれしいのか尻尾を振って俺の腕の中に納まっている。  それを見た周りの人たちは「なーんだ。虐待じゃなかったのか」といった感じで三々五々散っていった。あぁ、よかった。通報はされないようだ。  とにかくこいつをとっとと飼い主のもとへ帰そう。 「じゃあ行くぞ」 「おうよ」  こうして犬嫌いの俺と犬のゆきは出会った。  
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