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「あの日、あなたはターゲットから襲われそうになったわね。」
ガッシュクロース公爵夫人は露天風呂の湯けむりが漂う中で話し始めた。山あいからゆっくりと月がのぼり始めていた。
「知っているのよ。何が起きたのか。私だって調べたんだから。」
チョロチョロと源泉掛け流しの音が聞こえる中で、ガッシュクロース公爵夫人の声はわたしの耳にはよく聞こえた。
「あなたは服を脱がされた。抵抗してあなたは逃げた。あの日、大広間でダンスの真っ最中だった私たちの目の前に、コルセット姿になったあなたが3階から飛び降りてきたわ。」
「なんですって!?」
横で聞いていた王子の母上は驚いて叫んだ。
「ああ、ご安心を。誰一人、ミーナの裸は見ておりません。見たのはわたくしと幸子さん、あなただけよ。今温泉に入る時にバッチリ見たでしょう?」
「その時は舞踏会の真っ最中で大勢の貴族が詰めかけていたのだけれども、ミーナは飛び降りてきた時はコルセットを身につけていたわ。降り方は、そうでございますわね。天井から伸びた紐にぶら下がって、なんと言いますか『ぐーん』と降りてきましたのよ。」
「ぐーんと?」
「幸子さん、ターザンの要領です。敵から逃げるために。」とわたし。
「ああ、ターザンでございますね。ってコルセット姿であなたターザンしたの?舞踏会を開催している大広間で?」と王子の母上。
「ええ、まあ。」とうなだれるわたし。
「ただのターザンじゃあございませぬのよ、幸子さん。この方はターザンしながら手裏剣と短剣をぶん投げたのでございますわよ。わたくしの部下に。」とガッシュクロース公爵夫人。
「ええっ!?」
「そこはなりきる術で逃げるでよかったんじゃないのかしら?」と王子の母上。
「あら、幸子さんも生粋の忍びでございましたわね。失礼。」とガッシュクロース公爵夫人。
ことはこうだ。
王族の暗殺をガッシュクロース公爵夫人に命じられたその日、わたしはその王族に襲われた。服を脱がされそうになった。抵抗して逃げ出した。わたしが逃げ出すと、部屋の外にいた公爵夫人の手下が気づいて王族を襲った。わたしはその手下が王族を殺すのを阻止した。コルセット姿で逃げながら、公爵夫人の手下に応戦していたわたしは、逃げ込んだ先の物置にあったロープを使って、窓から逃げようとした。
しかし、窓が開かずにそのまま手下がいる方に戻ってきてしまった。怒った手下がわたしを追ってきたので、瞬時の判断で忍びの訓練で培った経験を駆使して、コルセット姿でターザンのように舞踏会の真っ最中の貴婦人や紳士たちの間に舞い降りたというわけだ。
飛び降りた箇所からかなり遠くに着地して、そのままわたしは逃げ出した。
後ろを振り返った時、わたしの真似をしたのか公爵夫人の13歳の子息が2階から落ちるのを目撃した。咄嗟にわたしは駆けつけようとしたが、結局間に合わなかった。
「カルロー!」
悲しげな公爵夫人の絶叫がわたしの耳に残っている。
「あの時、助からなかったんですね。」
わたしは涙が流れるままに、公爵夫人に言った。
「そうよ。」
公爵夫人は頭の上に乗せた濡れタオルをとって自分の顔に当てた。
「何度もやり直したわよ。でも、あの日、カルローが死ぬのを防ぐことはできなかった。」
公爵夫人の声はしわがれていた。
「あなたをそりゃあ恨んだわよ。」
そう言った公爵夫人の肩を王子の母上はそっと抱き寄せた。公爵夫人は肩を振るわせて泣いた。
「でも、ミーナのせいじゃないわね。そうね?」
王子の母上、幸子さんが公爵夫人がしばらく泣いた後にぼそっとつぶやいた。
「そう。ミーナのせいじゃありませんわ。」
公爵夫人は声を殺して泣いていたわたしを見つめて言った。
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