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「ね、本当にそれでいいの?」
「これです。これでいいんですよ。」
わたしはレジに掃除機の詰め替え用の袋を持って行った。まだ令和のお札が平成でも使える。諭吉ではなく野口英世で払えた。わたしの後ろには、メンズのトレーナー上下を来た公爵夫人と、わたしの高校時代のあずき色のジャージを着た幸子さんが立っていた。
公爵夫人の頭にはカメラバングルがついていて、実に奇妙な出立ちだ。
「外は暑いですよね。そのトレーナを脱いだらどんな格好なんでした?」
「何も着ていないわ。」
「じゃあ、わたしの祖母の家まで我慢してください。何か借りてあげますから。」
「ミーナ、わたしも・・・・・・」
「分かっています。」
わたしたちは平成の夏にやってきていた。暑い夏だ。蝉が鳴いている。家電量販店のエアコンは効いていた。
「さあ、行きますよ。ここから少し歩きますけど、途中で水を買ってあげますから、ご辛抱ください。」
わたしは渋るおばさま二人を炎天下に押し出した。早歩きで15分くらいだ。トレーナーとジャージの上は脱いでもらって、念の為に持ってきた旅館の浴衣に家電量販店のトイレで二人を着替えさせたのだ。
わたしはこれから掃除機の詰め替え用の袋を持って久しぶりに祖母の家に行くのだ。歩きながら途中の自動販売機に小銭を入れて3人分の水を買って、3人でごくごく飲んだ。
青い空には夏休みらしい入道雲が広がり、道すがらずっと蝉の声がみーんみーんと鳴いていた。田舎のあぜ道を歩いていく。
***
露天風呂で「ミーナのせいではないわ。」とつぶやいた公爵夫人が突然言い出したのだ。
「ミーナが会いたかったおばあさまに今から会いに行こう。」
それにすぐにのったのは幸子さんだ。
「いいわねえ。わたしもミーナのおばあ様にお会いしてみたいわ。」
「今からですかっ!」
「早い方がいいじゃないの。どうせ会いたくて会いてくて仕方がなかったんでしょう?」
「それはそうですけど。」
「公爵夫人、今回のカメラアプリミッションはなんですか?」
「あのねー、ひよおこまんじゅう、って名前だったと思うわ。」
「分かった。ひよこ饅頭ですね。旅館のロビーのお土産品売り場にあると思います。明るいうちなら、駅前の商店街にも売っていたと思いますが、もうお店は閉まっていますね。」
「じゃあ、ここをロビーでクリアして、ミーナのおばあ様に会ってからまたここに戻ってくればいいわね。」
「はい、そうなりますね。では、同期の高梨と美月に今から少し外を散歩してくると伝えます。」
わたしは同期の高梨と美月に少し外を散歩してくると伝えて、旅館のロビーに急いだ。平成の夏だ。暑いと思ったので、浴衣を2枚、部屋から拝借してきた。
「あった!ここにあります。はい、今誰も見ていません。幸子さん、夫人、手を繋ぎましょう!」
わたしたち3人はしっかりと手を繋ぎ、公爵夫人のカメラアプリが「カメラアプリミッションをクリアしました」と爽やかな機会音で告げるのを聞いた。
1512年のガッシュクロース公爵夫人の冬の城にわたしたちはワープした。季節は夏から冬に進んでいた。窓から雪が見えて、暖炉には火がくべられていた。部屋は暖かい。
「ミーナ、おばあさまのところに行くわよ。何年何月?」
わたしは平成のある年の8月16日を指定した。お盆休みに祖母に会った最後の日だ。場所はわたしの故郷の田舎町。
わたしたち3人は平成の夏にワープして、家電量販店で真っ先にわたしが買い物をするのに公爵夫人と王子の母上は付きあったというわけだった。
あぜ道を抜けて、民家のある通りを過ぎて、懐かしい祖母の家にわたしは辿りついた。
「じゃあねっ!」
当時のわたしが荷物を持って、ちょうど東京に帰るところだったようだ。わたしたちがそっとブロック塀に身を潜めて見ていると、わたしが手を振って家の玄関から出てきて、そのまま門を抜けて歩いて通り過ぎて行った。
「ミーナ、若ーい!」
「しーっ!静かに。」
「そうよ、若いわよ。確かに。」
「わたしはこれを祖母に渡してきます。」
わたしはそう言って、そのまま祖母の家の玄関に向かった。
「ばあちゃーん、ミーナ。」
いつものように声をかけた。でも、涙が込み上げてきてしまった。
亡くなった祖母に会うのは、あれ以来だ。わたしはお葬式にも駆けつけられなかった。祖母の家は取り壊されて令和の今はもうない。
「ミーナね。どうしたの。今東京に帰ったかと思ったら。」
祖母の声がした。祖母は右側半身が全く使えない。わたしは靴を脱いで懐かしい祖母の家に上がった。当時と全く匂いがして、鼻の奥がツンとしてもう涙が止まらなかった。
「ばあちゃん、ただいま。これ、買ってきたから。掃除機につけておくね。」
わたしは優しい祖母の顔を見たら、もう涙がぽろぽろ出るのを抑えられなかった。すぐに祖母に背を向けて、掃除機の閉まってある大きな押入れに向かった。
押入れに、わたしが夢にまで見た赤くて古い掃除機が置いてあった。わたしは震える手で、買ってきたばかりの新しい掃除機の袋を差し込んでセットした。
わたしは、最後に祖母に会った時に、その古い掃除機のゴミ袋の替えを捨てたのだ。新しいものを買ってきてあげると言って、買ってきてあげるのを忘れてしまって東京に戻ったのだ。ずっと後悔して気になって気になって仕方がなかった。祖母は右半身が使えず、杖をついて右半身を引きずって歩いていた。
「そのためにわざわざ戻ってきてくれたのね。」
祖母は杖をついてやってきて、そう言った。右足を引きずっている。
「うん。ごめんね。遅くなって。」
わたしはそう言った。
「ミーナ、えらくなんかならんでもよかよ。」
祖母が突然そう言った。
わたしの記憶では違ったはずだ。
祖母は一度倒れた後、お見舞いに行ったわたしのことが誰だか分からず、やっと分かった時は「ミーナ、えらくならなくちゃダメだよ。」と言ったのだ。
「え?」
わたしはポカンとした目で祖母を見つめた。わたしの顔はぐちゃぐちゃに涙で崩れていて、鼻水だって出ている。
「ミーナちゃんが生まれた時はねえ、みんなで大騒ぎしてお祝いしたのよ。本当に可愛い子でねえ。」
祖母は優しい顔をして思い出すように言った。
わたしの涙腺はいよいよ決壊した。
「ばあちゃん、ティッシュもらうね。」
そう言って、いつものリビングのティッシュが置いてある場所まで走って、声を殺して泣いた。
ティッシュで涙と鼻水をふく。
「こんにちわー。」
「お邪魔しまーす。」
そこに、ガッシュクロース公爵夫人と王子の母上の声が玄関の方でした。
「あっ!」
わたしはティッシュを顔に貼り付けたまま、玄関に走った。
「どなたさんでした?」
祖母の声がして、杖をついて右足を引きずって歩く祖母が玄関までやってきた。
「おばあさま、いつもミーナさんにお世話になっております。」
まるで日本人のような挨拶を王子の母上がした。
「ああ、ミーナのお知り合いの方ですね。それはそれは、わざわざ。」
祖母は丁寧に頭を下げた。
「ミーナ、顔にティッシュがついているよ。」
祖母はわたしに笑いながら言った。
「あれ?」
わたしは涙に曇った目を拭いながら、自分の顔に張り付いたティッシュをさがした。
「ミーナさんは、大丈夫ですよ、おばあさま。」
突然、王子の母上がそう言い出した。
「はい。」
祖母はニコニコしてそう言ってうなずいた。
「じゃあ、ばあちゃん、元気でね。また来るね。ここに買ってきた予備の掃除機の袋を置いておくからね。」
わたしはそう言って祖母を抱きしめた。
わたしは声をあげて泣いた。
「ミーナ、どうしたの。」
祖母は驚いたように言ったが、背中をよしよしと撫でてくれた。
「はい、またね。ミーナ、待ってるからね。元気でやるんだよ。」
祖母はそう言った。
「うん。」
わたしはそう言いながら、涙に曇った目で玄関から土間に降りようとして転びかけた。涙で前がよく見えない。
咄嗟にガッシュクロース公爵夫人と幸子さんが支えてくれた。
「ありがとうございます。」
「じゃあ、ばあちゃん、またね。今までありがとうね。」
わたしはそれだけ言うと、祖母に手を振って泣きながら祖母の家の玄関を出て、玄関扉を閉めて後にした。
嗚咽が止まらない。
玄関の門を過ぎて、ブロック塀の陰にしゃがみこんで泣き続けた。
「よし、ミーナ、帰りますよ。」
「そうそう。さあ、カメラアプリミッションのモノを探しましょう。」
王子の母上、幸子さんはわたしの頭を軽く撫でると、ガッシュクロース公爵夫人と一緒にわたしを立ち上がらせてくれた。
「カメラアプリミッションはなんですか?」
わたしは涙声で聞いた。
「滝のそばの水路にいるカニ。」
田舎ならではの生物をガッシュクロース公爵が言った。わたしは思わず吹き出した。
「さあ、手を繋ぎましょう。すぐ、その辺にいますから。」
わたしはガッシュクロース公爵夫人と王子の母上にそう言った。二人は浴衣姿のままだ。蝉の音がうるさい夏の田舎道で、わたしたちは手を繋いだ。
「カメラアプリミッション、クリアしました。」
爽やかな機械音がして、そのままわたしたちは元の世界にワープした。
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