第1話

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第1話

 あの夏、1512年の夏のこと。  わたしはガッシュクロース公爵夫人のオーストリアにある避暑地の城にいた。煌びやかなドレスの数々を夫人はわたしにあつらえてくれた。  城の執事と夫人は黒の秘密結社の名前をわたしに教えた。 「マブリマギアルナアブロッシュ。」  慇懃(いんぎん)な表情をした執事は、その言葉を聞くと、一瞬で顔に緊張を走らせたものだ。  シンデレラが降りてきそうな贅沢な作りの階段を公爵夫人が降りてきて、わたしに微笑みかける姿を今でも覚えている。わたしは多くの時間をガッシュクロース公爵夫人とともに過ごした。 「あなたは、わたしの娘のようなものよ。そのシルクのドレスは本当にあなたによく似合うわ。わたしの力で社交界にデビューさせてあげるわ。」 「そんな。でもありがとうございます。」  当時の夫人の年齢は三十代だろうか。時々、鋭い一瞥(いちべつ)をこちらに向けると、わたしを見極めるかのような表情を浮かべていた。わたしは裏切りものだった。しかし、夫人はわたしに王族の暗殺を託した。  わたしは相棒とはぐれてしまったので、仕方なくそこの城に滞在していただけのものだ。確かにいろんな武術がわたしは使えた。身のすばしこさも桁違いだったと思う。さらに、知識も豊富だった。だからといって私が人を殺めて良いはずがない。  王族の暗殺を決行する日、わたしは決行しなかったばかりか、彼らの邪魔をした。阻止したのだ。阻止したときに、不幸な偶然が重なり、公爵夫人の子息が怪我をしてしまった。 「カルロー!」  夫人があげた悲鳴がわたしの耳にこびりついている。  とっさに、そのままわたしは逃げ出した。公爵夫人の命でやってきた追っ手はしつこかった。 「ミーナをひっとらえて来なさいっ!」  運の良かったことに、わたしは相棒の撤収を合図に元の世界に戻った。私はダサいと思われることを承知で言えば、タイムリーパー。ダサダサだ。今時珍しくもなんともない。  あのとき怪我をした子息は命が助からなかったのではないだろうか。だから夫人はわたしに激怒していたのではないだろうか。わたしは時々このことで胸が痛む。 ***  清々しい朝だった。久しぶりに体が軽い。23歳のミーナとして令和で目覚めた。  もう一度令和を生きるのは新鮮だった。今日はリモートワークの日のようだ。机の上に置かれたカレンダーと、スマホショルダーバックの中に入っていたスマホのカレンダーから、今日がいつなのか分かった。  ――さあ、支度をしよう!  朝ご飯にトーストと目玉焼きを食べた。歯磨きをしていた時、ドンドンと誰かが玄関のドアを叩いた。  嫌な予感はした。わたしは慌てて口をゆすいで玄関先のカメラの所まで急いで見に行った。  予感は当たった。ガッシュクロース公爵夫人だった。  また刺繍がふんだんに施されたゴージャスなドレスをまとっている。サテンだろうか。シルクだろうか。1512年のオーストリアの城から抜け出てきたようなファッショナブルな出立ちだ。場違い過ぎてハロウィンの仮装レベルを遥かに超越した完成度だ。本物だから。 「なんの御用でしょう?」  わたしは、いざとなれば残っている吸血鬼の力でも術でも何でも使って戦おうと覚悟を決めた。わたしはここで負けるわけにはいかないのだ。53年前のわたしとは違う。 「ミーナ?ちょっとこの扉を開けて。カメラアプリミッションが何なのか分からなくて、元に戻れないのよ。」  わたしは意表を突かれた。(タイムリープには、常にミッションが付随する。ダサいミッションだ。)   「まだわたしの命を狙っていますよね?」 「狙っているわよっ!でも今は一時休戦よ。そうするしかないの。お互い協力しましょう。ここを開けてくださる?」  わたしは考えた。  ガッシュクロース夫人のカメラアプリミッションは何だろう。牛丼、スーパー銭湯、ジェットコースター、もしくは電車、新幹線とか?  彼女からしたら何がなんだか分からないものばかりの世界だろう。わたしに有利だ。 「分かりました。」  わたしは、大金を払ってタイムリーパーとなったガッシュクロース公爵夫人のために玄関ドアを恐る恐る開けた。
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