色鉛筆の片想い

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 大学一年の終わりの春休み。僕は久々に美術館に向かおうとして上野公園へと続く階段を昇った。柔らかに淡い陽射しが降る公園入り口の石畳に人影はまばらだ。あと一週間もしたら桜が開花して大勢の花見客が押し寄せるこの場所も、今はまだまどろむような春の午後の静けさの中にある。  広場の一角に細面の女性の似顔絵師がいた。すっと伸びた背筋に凛とした清々しさを感じる。年齢は僕と同じくらいだろうか。グリーンのパラソルの下で客待ちをしながら絵筆を握る彼女の脇を通り抜けようとして、ハッと立ち止まった。その女性が中学時代に片想いしていた藤崎里帆であることに気づいたからだ。  そうか。君はまだ絵を続けていたのか……。  久々の再会によって、形容しがたい感情が僕の胸を嵐のように駆け巡る。「懐かしい」とか「嬉しい」とかいった単純な気持ちとはそれは明らかに異なる。白でも黒でも灰色でもない。強いて言うなら彼女が今手にしているパレットに載せられた様々な絵具を一度にぶちまけられたような強くて複雑な鮮やかで残酷な想い。  それでも気づくと僕は里帆の方に足を向けていた。ゆっくりと一歩一歩、四年の歳月を超えて歩く。  僕から絵を奪った彼女と今さら何を話すかなんて考える余裕もなかった。それでも、真剣な表情でキャンバスを見つめる彼女の元へ、まるで大渦に飲み込まれる木っ端のように僕は強い力で引きずり込まれて行った――。
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