色鉛筆の片想い

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※ ※ ※  艶めくように成長し、化粧をした今の里帆の横顔には隙がなく、当時の無防備で人懐っこい面影を見つけるのは難しかった。  グリーンのパラソルには似顔絵の料金表と共にセルフポートレートが吊るされていた。  写真のように精緻な絵だ。けれども、写真にはない絵ならではの胸に迫る温もりがある。まっすぐに見る者を見返すその絵の瞳には明るく強い光があり、「将来のゴッホ」と豪語したあの日の里帆の面影と重なった。 「一枚、お願いできますか?」 「はい! よろこんで!」  里帆は気さくに微笑むと僕をチェアへと促し、スケッチブックにペンを走らせ始めた。  聞きたいことは山ほどあった。けれども、喉に物が詰まったように何も言葉が出てこない。絵筆を走らせる彼女の真剣な表情が無言の内に全ての僕の胸中の問いに答えてくれている気がした。  あの体育館に忍び込んだ翌日の朝、朝練に来た剣道部員とバレーボール部員が選考結果を知るとそれはSNSを通じてたちまち全校生徒に広まった。  先生たちは慌てたに違いない。なぜなら、里帆の絵に添えられていたはずの大賞のリボンが僕の絵に付けられていたのだから。  しかし、ここまで選考結果が周知されてしまった以上、「違う」とアナウンスするのは教育上問題になりかねないと判断したのだろう。そのまま僕の絵は大賞として市役所へと送られた。そして、市全域から集められた大賞作品の中で僕の絵は審査員特別賞を受賞したのだ。  僕の絵の方が優れていると判断していた里帆は、あの夜自分の作品が大賞に選ばれていることを知ると、そのリボンを僕の作品に添えたのだ。きっと僕が選ばれない可能性を危惧して体育館に忍び込んだに違いない。  そんな里帆のすごさを目の当たりにした僕はもう絵を続けることができなくなった。彼女に比べて、絵の才能だけでなく人としても小さすぎることを思い知らされて、憑き物が落ちたように絵への熱が冷めてしまった。  僕の顔からはトレードマークだった冷めた笑みが消えた。今まで深刻ぶっていた自分の考えもバカバカしく感じるようになった。僕より過酷な環境で暮らしているはずの里帆の笑顔の理由がわかった気がしたからだ。 「どうせならさ。開き直ってカッコよく毎日楽しもうよ」  そう言われた気がした。でなければ、あれだけ絵が好きな里帆がさらっと百色色鉛筆を諦められるはずがない。まるで少年マンガの主人公みたいに。  少しずつだけど、僕は日々の小さな出来事に屈託なく笑えるようになった。それにつれてそんな自分のことを徐々に好きになって行った。三年生になると、気兼ねなく冗談を言い合える友達もできた。絵と引き換えに、僕はそれまで見失っていた人生の喜びを手にしたのかもしれない。  その後も里帆は変わらぬ気さくさで僕に接し続けてくれた。  そんな彼女を単純に「好き」とか「リスペクト」とかいう言葉では片づけられない気持ちで僕は見つめた。そこには自分より大きな存在に対する嫉妬もあったし、憤りもあった。  初めて海を見る人の眼差しを卒業するまで僕は里帆に向け続けた。最後まで告白する勇気は出なかった。
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