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1 彼の浮気疑惑
年齢に対する期待? もしくは思い込みって言ったらいいのかな?
私の歳が一桁だった頃。絶対二十歳で死ぬという、おかしな確信を持っていた。
結果、死ななかった。ハタチの誕生日の夜、私は地元の神社の境内で、鼻水垂らしながら参拝客におみくじとお守りを売っていた。
その時思った。そっか、生まれて二十年程度じゃ人生変わらない。それなら三十になったら人生変わるはず。
劇的な何かが、こう、人生表と裏がひっくり返るような、一旦死んで生まれ変わるくらいの何かが、三十という数字とともに私のもとに舞い降りてくるはず。根拠なんてなかったけど。
……けれど。三十歳になっても、結局私には何も起こらなかった。
仕方ないからコツコツ貯めていたお金でマンションを購入した。そしたら、彼氏ができて、同棲が始まった。私より五歳年下、ニキビ跡ひとつない白い肌に、真っ直ぐな鼻筋とぱっちり二重。ただ目尻がちょっと下がりすぎっていうか、笑うとできのいいお多福みたいになっちゃうのが玉に瑕。
料理も掃除もしてくれると言うと、会社の同僚は「いいわね〜」と羨ましがった。でも本当は憐れまれていることくらい私は知っていた。この歳でする恋愛は結婚に紐づくものでなければ、本来しちゃいけない恋愛だ。
そして今年、私は三十三歳になった。
顔だけ良くて、学歴もこれといった収入のアテもない無職で俳優志望の九弥と私はまだ一緒にいる。他人から見たら、単なるヒモでしかない九弥と。
とはいえ私にとっては大事な恋人だから、一応調べてみた。何を? って、九弥が最近エントリーしたっていう舞台のオーディションのことを。
そしたら、応募できる年齢が十四歳から二十九歳とあって、私は思わずのけぞってしまった。何この年齢幅。一体何の役? とほほ、これはかなり難しいんじゃない? だってきっと、意欲的で野心的な若い子たちがわんさか来る気がする。
はぁ。仕方ない。今度のオーディションもダメなら九弥のこと、旦那さんにもらってあげよう。
そう考えていた矢先、オーディションの結果が郵送されてきた。結果はめでたく合格。端役だけどようやく彼に役がついた瞬間だった。
私はどうせ不合格と決めつけていたから、肩透かしを食らった気分になった。白状しちゃうと、これで九弥も夢をあきらめて(とうとう結婚かぁ〜)なんて、こっそり浮かれていた。封筒から取り出した用紙に印刷された合格の二文字に喜ぶ九弥を前に、はやっていた自分勝手な気持ちを心の奥底にそっとしまった。そして、久しぶりの発泡酒じゃない方のビールを開けて一緒に喜んだ。喜んだんだけど……。
稽古が始まると、九弥は夜遅くまで帰らない日が多くなった。
私が仕事から、溺れる寸前の魚みたいになりながら帰宅しても、私の部屋に明かりはない。一人寂しく、黄色と赤の割引シールが貼られたスーパーのお弁当の蓋を開ける日が積み重なってゆく。
おかしくない? 端役のくせになんでこんなに帰りが遅いの?
翌朝目が覚めると、九弥はいつの間にか私の隣でいびきをかいていた。(シングルベッドに大人二人じゃ狭苦しいのに)、パカッと口を開けて眠る九弥を睨んだけど、ぴたりと密着する彼の温もりが、本当は嬉しかった。いびきの発生源のその鼻をチョイっと摘むと苦しそうにふぐふぐするからすぐに手を離す。無防備だなぁ。演技で剣豪の役とかやらないの? 曲者! とかやらないの? 心の中で勝手なツッコミを入れて笑いを噛み殺した。彼を起こさないようにベッドからそっと抜け出し、洗面所に行って洗濯機を回そうとした時、それに気がついた。
九弥の脱いだトレーナーの袖に口紅がついている。私は思わず呟いた。
「……まさか、浮気?」
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