【2】チェルナマチカ。

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【2】チェルナマチカ。

パカラッパカラッと馬が駆ける足音は、想像していたものとも違う。紫色の毛並みの馬は、まるで空中を水平に移動するように駆け、尻が痛くなることもない。 途中で路銀が尽きて、それなら歩くしかないと歩を進め、途中魔物に遭ったところで、よくあるチート主人公のような快進撃などできるはずもない。 俺はもう、随分と前にしゃべることをやめていた。 どうすれば魔法が発動するかさえも……分からないのだから。 悲鳴さえあげられずに、死ぬのだと感じた。流行りの異世界転生と言えど、こうしての垂れ死ぬルートも……あるんだな……。 『クードゥ、ヒューゴードゥ、クードゥ』 紡がれた不思議な音階の言葉を……俺は知っているような気がした。 呆然と見つめる先には、ひとりの騎士がいる。 それも、ただの騎士とは思えない、魔法を使いこなす騎士。騎士でも魔法を使えるものはいるだろうが……とりわけ魔法を巧みに操り、騎士の格好をしているものは……魔法騎士。そう、呼ばれる稀有な存在ではなかったか。 「ふぅ、何とか間に合ったねぇ。てっきり馬車台だけでも別途渡したとは思ったけど……でもまさか歩いてくるなんてね。魔法もろくに使えないのに、魔物が出る夜の街道を生身で進むのは命取りだ」 馬車が行き交う街道も、昼間は身を潜める魔物が出てくる。だから深夜に進む馬車は護衛を付けるものだ。 しかし路銀の足りない俺は、わざととも言わんばかりに夕暮れ間際の街道で乗り合い馬車を下ろされた。 馬車は日暮れまでには次の城市(まち)につけただろうが。それでも俺がこうして足で進むのなら、確実に夜が来る。 でもこのまま、魔物に食われてもいいと思った。きっと痛いだろうが。無念だろうが。 来世はせめて……『人間』として生まれたかったから……。 「おいで。君を迎えに来たんだよ」 「……」 俺を……? 「ん……?声が出ないのかな?」 と言うか、しゃべれないのだけど。 このひとを信用していいのか分からない。 「俺はヂェスール・チェルナマチカ」 「……??」 呪文のように並べられた長い名は、いかにも貴族らしくて……そして聞き覚えがある音階のはずなのに、しかし普段聞き慣れたこの世界の共通語とはちょっと違う。 「呼びにくければゼスでいい」 「……」 ゼス、さん。 声に出して呼ぶことはできないけれど……。貴族に対して、不敬だろうか。 「君とは同じ、チェルナマチカだ」 「……?」 チェルナ……マチカ……? 何だかひどく懐かしいような響きのそれは、どういう意味だっただろう……? 「ん?聞いてない?まさかそこまでとは……。うちの父親からの手紙、持ってるでしょ?」 ゼスさんのお父さんからの手紙……?手紙は……俺の父親だと言う人物からのしか、ない。懐からその一通を取り出す。 これしかないと、ゼスさんに差し出せば。 「そうそう、これね。まぁうちの父親、神出鬼没で常にふらふらしてるから、長男が代理で書いたんだけど。正式に委任されているから問題ない。文字は読める?」 ふるふると、首を横に振る。 「この宛先は、ピスィカ・チェルナマチカ」 ピ……スィカ……? 誰の名前だろうか……? 「これが君の……ピスィカの名前」 俺の……名前……?生まれてこの方、名前など呼ばれたこともない。化け物、生まれて来なければよかった子ども。そう呼ばれてきた。 平民には名前がない世界なのかとも思ったが、異父弟妹には名がある。 俺は産みの母に望まれなかった子どもだ。名前すらもらえなかったのかと、そう思っていた。 或いは……化け物。 それが俺を指す言葉。 でも……違った……? これは……聞き慣れないながらも懐かしい音階の名は……一体誰がつけたものなのだろうか。 「そして……」 ゼスさんが手紙の封筒を裏返せば。 「ここに、【チェルナマチカ魔法侯爵代理・オスカー・チェルナマチカ】と、チェルナマチカの家紋がおされている」 オスカー・チェルナマチカ……?そして、家紋……。チェルナマチカの家紋は……黒猫。 猫……そういや前世実家で飼ってたな……。猫……お猫さまお猫さま……あの温もりが……恋しい。 「……ィカ……ピスィカ……?おーい」 「……!」 しまった……つい、実家の猫思い起こしてぼうっとしていた……! 「オスカーは俺とピスィカの兄で、チェルナマチカの長男、跡取りだね」 え……俺と……ゼスさんの兄って……ゼスさんは……。 「俺もピスィカの兄だからねぇ。兄上でもお兄ちゃんでもお兄さまでもいいよ~」 ……と、言われても。 兄弟と言っても、恐らくは異母兄弟だ。……そう、呼んでもよいものなのだろうか……。それにゼスさんは……貴族だよね……。なら、平民の俺なんかが……。 「まぁ、とにかく。せっかく15歳になったんだ。平民は15歳でひとりだち。どう生きるかはピスィカの自由だけど……魔力のこともあるじゃん?なら、うちにおいで。きっとその方がいい」 ……それって……侯爵家ってこと……?侯爵の前に、魔法ってついていたけど……俺にはそれを問うすべが……ない。 「うちの親父もどこで何やってるのか分からないけど。でも忘れずに送ってきたんだから、それも運命だ」 「……?」 忘れずに……? 「封筒の中に入っているはず……ほら、これ。魔法学校への入学推薦書。うちの親父の推薦があれば100%通るから、ピスィカは問題なく魔法学校に入れるよ。むしろ入学確定?」 魔法学校って……魔力を持つ王族や貴族が通う……国立の……?平民でも魔力があれば入れるとは聞いたことがあるけれど……。 俺が……魔法学校に通うの……?それに、俺の父親が推薦すれば間違いなく入学になるって……一体何がどうなって……。 「さ、行こうか。ジェーレ、リラ!」 そう、呪文のようにゼスさんが告げた瞬間……。 不意にその場に風が吹き抜け、よろけそうになったところを、ゼスさんの腕が俺の背中を引き寄せてくれた。 「リラだよ」 そうゼスさんが告げ、その傍らに降り立ったのは……紫色のとてもキレイな……馬……? 「ま、本性は竜なんだけどー」 りゅ……竜うぅっ!?そりゃぁ伝説くらいならこちらの世界でも聞くけど……! 「さて、乗って」 その答えを出す前に、ゼスさんは俺を抱え、そのままリラの上に騎乗した……!?そして俺を前に座らせると、手綱を引き、リラが勢いよく上空に向けて駆け上がった。空を、飛んでいた。いや、駆けていた。 「空を飛ぶのは初めて?」 ゼスさんの言葉にこくこくと頷く。 「ふふ、そうかぁ。オスカーが王都までの旅路に問題ないだけの魔法小切手も送ったのだけどね。それがあれば、飛龍便でさくっと来られただろうに」 ひ……りゅう……!?文字通り、ドラゴンのことである。町では無理だが、近くの城市(まち)からなら、飛龍便もあるかもしれない……。 しかしそれは、一部の金持ちや貴族しか利用できないくらい……高額だ。もらった路銀ではとても……。それに、魔法小切手って……何だ……?小切手は……前世の小切手のこと……だよね。それに加えて魔法小切手って……何……? 「やっぱりピスィカは受け取ってないんだねぇ。ま、大丈夫大丈夫。あれは誰がどう使ったか、例え偽造してもステータスで紐付いているから、誰がどう使ったか、全て発行責任者のオスカーに届く」 ステータス。よくある異世界ファンタジーのように、この世界にもステータスと言うものがある。 この世界の民は、貴族平民に関わらず、12歳になれば神殿で洗礼を受け、己のステータスを知ることができるようになるし、いつでも好きな時に自分で開ける。また、それが何かあったときの身分証の役割も果たすのだ。 ……当然ながら俺は、神殿の洗礼になど連れていってはもらえなかったし、自分ひとりで行ったところで、町の神殿のものたちも俺が化け物であることは知っているから、追い返されたことだろう。だから俺は、未だに自分のステータスも知らず、そして……今日まで自分の本名すら知らなかった。 「本来ピスィカに渡るはずだった魔法小切手を不正に横領したのは誰なのか……それはオスカーが別途、チェルナマチカのお金を盗んだとして通報しているだろうから、すぐに捕まるよ。安心して」 ……と、言われても……誰が……?いや、確実にあの路銀を父さんからのと偽って渡してきた義父は……知っているだろうな。けど、そんなずるまでして金をせしめようとするひとだとまでは……分からなかった。俺が知らないだけかもしれないけど……。 「ほら、ピスィカ、見てごらん。リラは駿足だからね」 と言うか、竜では。 「普通は馬車で何週間か、かかるのに。もうついたよ――――――!」 それほどまでに、竜の移動は速いのだ。 あれが、王都。まるでファンタジー。しや、ファンタジーだけど。ファンタジー異世界のいかにもな立派な城壁と、その向こうにひしめくさまざまな建物が眼前に広がる。あれ、城門は通らなくて良かったのか……? 城壁を越えて王都の空を駆けるリラ。ゼスさんを見上げれば。 「チェルナマチカだけは特別。他は怒られる……けど、ピスィカもチェルナマチカだから問題ないよねぇ」 そう言って、ゼスさんはカラカラと笑うのであった。
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