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——大人しくしていれば、悪いようにはしない。
ドラマのワンシーンにありそうな、芝居がかった台詞。平素であれば笑ってしまいそうなほど、いかにもな言葉。
もちろん笑う気など起きず、私は歯をガタガタと鳴らす。
私の反応に男は満足したらしく、さっきよりも優しい声色で、
——じゃあ目を閉じて、体の力を抜け。
と言った。
銃口を突きつけられた人のように、私は言いなりになる。ガチガチに固まった体から、何とか力を逃がそうとする。
一生懸命にそうしていると、次第に意識が薄まってきた。現実感がどんどんなくなっていき、遥か彼方に自我が飛ばされていくような感じに襲われる。
それから数日間の記憶は、ほとんどない。自分が何をして過ごしていたのか。どこに行ったのかといった事柄が、ところどころ抜けていて、断片的にしか思い出せない。
体の主導権を、一時的にあの男に持ってかれていたのだ。記憶が抜けているのは、そのせいだ。
心ここにあらずという感じだったと、ちょくちょく家に来ていた叔母さんが、のちに気の毒そうに話していた。
主導権が戻ってきた後も、私はこのにわかには信じがたい一大事件を理解し、受け止めるのでいっぱいいっぱいだった。
そうこうしているうちに、新学期が始まっていた。
高校生になってから初めての冬休みは、散々なものになった。
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