40

1/1
752人が本棚に入れています
本棚に追加
/82ページ

40

 りっくんに会えないまま旅行の日がきて、朝早く父の運転する車の後部座席からりっくん家のコンビニを横目に見て、こっそりため息をついた。  りっくんに会えるのは、次の水曜日。  楽しまなきゃ、旅行。いつも通りに。  ほんとの気持ち、お母さんたちにバレないように。  もう覚えてしまった父のお気に入りのCDを聴いて、時々みんなで歌いながらドライブをして、お昼は海鮮丼を食べた。「記念に」って写真を撮って、後でりっくんに送った。 「そっか、和室にしたんだっけ。畳いいね、久しぶりー」  ホテルの大きな窓からは凪いだ海が見えた。  りっくん、どうしてるかなぁ…。今日は丸一日バイトだっけ。 「空、ちょっとその辺歩いてみましょ」 「はーい」  両親とアーケードの商店街をぶらぶら歩いた。温泉まんじゅうとか、お目当てだったプリンもあった。 「空のスマホで写真撮ってあげる。食べてるところ」 「え?」 「ほら、そしたら送れるでしょ? お友達とかに」  ね? って言って出された母の手。スマホを渡した時にりっくんからメッセージがきちゃったらどうしよう。でも断るのも変、な気がする。  カメラ起動してから渡せば大丈夫、なのかな。  とりあえずささっと撮ってもらっちゃおう。  お願いりっくん、今は送ってこないでって思いながら母にスマホを渡して、温泉まんじゅうを食べてるところを撮ってもらった。 「うん、可愛い可愛い。さすが私の子」  そんな自画自賛的独り言を言いながら写真を撮ってくれた母が「はい」ってスマホを渡してくれた時、心底ホッとした。  あー、こわいこわい  隠し事って大変だ。 「ねー、空。律くんにお土産何買って帰ろっか?」 「えっ?!」  やばいっ すごいビクッとしちゃったっっ 「ほら、律くん、空の家庭教師してくれるでしょ? だから。ね、律くんって何が好きなの? 甘いの? しょっぱいの?」  母が僕を振り返って無邪気に笑いながら訊いてくる。僕の手のひらはみるみる汗で湿ってきて、慌ててスマホをポケットに仕舞った。 「ど、どうだろ。ちょっと分かんない…」  ていうかドキドキして頭働かない。 「そっかぁ。じゃあ両方買おうか。律くん家4人家族だから誰かしら食べるでしょ。あ、これ食べたい。絶対お父さんも好き」  母はそう言いながらお菓子の箱を持って「お父さん、これこれ」って言って父にその箱を渡した。父は「そうそう、こういうのいいよね」って笑ってた。  …なんか口惜しい  僕は、りっくんの食べ物の好みが分からない。  夕食の時も「お父さんこれ好きでしょ」とか、「これはお母さん好みだな」とかっていう、ごく普通の会話をすごく羨ましい気持ちで聞いてた。  当たり前だと思ってたことの見え方が変わってくる。  人を好きになるって自分の中で地殻変動が起こるみたいだ。  ホテルの部屋に戻って、部屋に付いてる露天風呂の順番をジャンケンで決めて、父が一番風呂に入りに行った。  母が卓上に置いてあるお茶を入れてくれた。珍しく呑んでたから、母の頬がほんのり赤い。 「お母さんね、今でも覚えてるのよ。空が小学校に入学したばっかりの頃、膝小僧に大きなガーゼを貼って帰ってきて、「まあ大変」って思ったら嬉しそうに律くんの(はなし)し始めて」  ふふって笑った母を思わず凝視した。母は両手に包んだ湯呑みの中を見てる。 「ぶつかって転んじゃったけど、律お兄さんがおんぶしてくれて、洗ってくれて、すごく優しかったから、痛かったけど痛くなかったよって、にこにこしながら話してくれて、それまで空、あんまり学校のこと楽しそうに話したりしなかったからすごくびっくりして、すごく嬉しかったの。それからよく律くんの話が出るようになって、ああ、三島酒店の律くんのことかって分かって。空が楽しそうに学校に行くようになって良かったって思ってたのよ」  母はお茶を一口飲んで僕を見た。つい、びくっとしてしまった。 「で、律くんが卒業して、分かりやすく落ち込んで。しばらく名前も聞かなかったのに突然送ってきてくれちゃったりするんだもん。もう、ほんとあの時驚いたんだから」  もぉって感じで僕を睨んで、母はへにょって笑った。 「びっくりしちゃう。律くん格好いいし、なんかすごい空のこと可愛がってくれてるみたいだし。それに空、なんかキラキラしてるし」  母の手が伸びてきて、僕の頭を、頬を撫でる。りっくんの大きな手とは違う、細い手の感触。 「よかったねぇ、空」  ふふふって笑った母は、そのまま座卓に突っ伏して眠ってしまった。  お母さん、あんまりお酒強くないから。  とりあえず衣桁にかけてあった母のストールを持ってきて、細い肩にかけた。  さっきの「よかったねぇ」はどんな「よかったねぇ」なんだろう。
/82ページ

最初のコメントを投稿しよう!