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僕なんかが会話するにはおよそ縁のなさそうな可愛い女の子に突然声をかけられ、あまつさえ知り合いだと言う。
何かの間違いではないかという戸惑いをよそに、彼女は話を続けた。
「マコだよマコ!覚えてるー?ホントに久しぶりだね!お互い大きくなったよねー。でも小さい頃の面影も少し残ってるかな?」
「う、うん。」
じっと顔を見つめられて思わず目を逸らす。
勢いに押されて思わず頷いてしまったことの気まずさもあるが、何しろ中学は男子校、エスカレーターでそのまま高校に入った身としては、女の子とこんな間近で話すことなんて人生で初めてのことだった。
脳みその端にわずかに残った冷静な部分で必死に過去の記憶を探る。
まだ人見知りもせず無邪気だった頃に遊んだ少年たちの顔がスライドのように横切っていくが、少女と遊んだは記憶は欠片もない。マコという名前。どこかで聞いたことあるような無いような曖昧な響き。ダメだ、思い出せるものがない。
「いやー、懐かしいよね!こうして久しぶりに会えたのってのもすごい縁だよねー!だってさぁ・・」
見当もつかないままでいるところに、彼女の明るい声に導かれてポンと答えが現れた。
ああそうか。人違いだ。少し考えればわかることを何を焦っていたのだろうか。
相づちを打ってしまったことは謝って、正直に言ってしまうのが良いだろう。
やるべきことがわかった途端、スウっと身体から緊張が解けていった。
話を遮ってしまって申し訳ないが、これ以上無縁な者に時間を使わせてしまう方が忍びない。
そう思って口を開きかけた瞬間ーーーー彼女は言った。
「赤ちゃんの頃、ベッドで隣だったもんね!」
「あ・・ああ!」
ヤバイやつじゃないかっ!!
僕の心の叫びを、彼女は盛大に勘違いして受け取った。
「ねー!」
いやこれ同意じゃないから。ツッコもうにも言葉が出てこなかった。
赤ん坊の記憶なんて覚えてるわけないだろう。仮にホントだったとしてもそれはそれでトンデモな話だ。
なんて子だ。可愛らしい顔面の裏には残念な頭が詰まってたか。
「そういえば、また思い出したんだけどさ。一緒によく泣いてたよね。お腹すいたってだけで泣いちゃって!ウケる!」
赤ちゃんはそれでいいだろうッ!泣いてナンボだ!
喉元まで出かかったが、グっと飲み込んだ。
こいつはどうしたものか。当然覚えてるでしょうと言わんばかりの顔で僕を見ている。
否定するのも肯定するのも申し訳ない気分になってきた。
僕が黙って思案しているのをよそに彼女はカラカラと笑った。
「ウケると言えばさ!あの頃、しりとりにハマってたよね。でも同じ単語を何度も繰り返しちゃって全然終わらないの!あれホント馬鹿だよねー!」
やだこの子なにを言ってるの?
赤ん坊が話せる単語なんてバブーとかアーとかそんなものだろう。そんなんでしりとりは・・いや同じ単語を繰り返すのがアリなら・・?
『アー』『アー』『アー』『アー』『アー』『アー』
馬鹿だ。馬鹿のしりとりだ。
いや確かに馬鹿だけど、赤さんの限られたボキャブラリでは頑張った方だろう・・・!
バブ、ブバ、よりとっぽど良い。褒めてやろうよそこは。
「はは・・よく覚えてるね。」
真正面からコメントするには危険すぎると思い、無難な言葉を絞り出した。
お仲間にされるのもゴメンだけどここまできて下手な刺激はしたくない。
そうしてたじたじと後ずさりする僕を追い打ちするように、話を被せてきた。
「よぉく覚えてるよ!夜暗くなって二人っきりになっちゃってさ、心細くって、また泣いちゃって、それで君は・・・ねぇ?覚えてるでしょ?」
急に振られて、ぐうっと空気を丸呑みした。
一体何を思い出せと言うのだ。赤ちゃんの記憶を探れという方が無理だろう。
赤子の記憶を有してるアナタの方がよほどオカシイか、やっぱりオカシイしか言えないぞ。
それでも彼女のまっすぐな眼差しに気圧されて、何とか言うべきことを捻りだす。
「えと・・なんだっけ?」
答えにもなってない答えだったが、彼女はフフっと笑い満足そうにしている。
もうなるようになってくださいな。好きにしてくれ。
そんな僕をジトっと見ながら、彼女は人差し指を立ててリズムを取るようにしながら言った。
「お・も・ら・し!」
「いいじゃないかッッ!!」
僕は思わず叫んだ。ここで叫ばずいつ叫ぶ。
生まれたての赤子が心細くておもらしするなんて、自然の摂理だッ!
期せずして反抗してしまったが上等だ。赤さんだって反抗期だ。
突然の大きな声に彼女は一瞬キョトンとしたが、すぐに立て直してイタズラっぽくニヤリと笑う。
「ふーん。いいんだね。」
「いいに・・・決まってるよ。むしろ微笑ましいじゃないか。」
「微笑ましいねぇ。ふーん。」
そのままニヤニヤと笑い続けている。
これまでと少し異なる反応に僕の脳細胞たちが混乱した。
何かを試されてる?からかわれてる?釣られた?
声をかけられたこと自体が・・・・罠?
ぐるぐると考えが巡っているところで、別の声で急遽思考が中断された。
「あれー!マコちゃん!?随分と可愛くなっちゃってー!」
振り返ると、声の主は僕の母だった。
「あっ!おばさん!お久しぶりです!」
僕の母と知り合い・・?
唖然としている僕のことなどお構いなしに女同士の会話が続く。
「この前ちょうどあなたのお母さんがご挨拶に来てくれて、話してたのよぉ。」
「ええ、最近またこっちに戻ってきたんです。」
「ねぇアンタ。マコちゃん、覚えてるでしょ?幼馴染のほら、」
母が僕の背中をバンと叩く。
どうやら本当に僕の知り合いだったようだ。
しかしどうやって思い出せと。赤ちゃんは幼馴染ってレベルなのか。
赤ん坊の記憶なんて言われても・・・
赤ん坊・・隣のベッド・・・マコちゃん・・・・
突然、頭のてっぺんから閃光が走った。
少年のころのに遊んだ友人の顔、名前、隣のベッド。
つながる。すべてが一気に。
母の言葉の終わりかけに、僕の声が重った。
「同じ病院で生まれてベッドが隣だったってご縁でさ。小っちゃい頃に一緒によく遊んでたじゃないの!」
「マコちゃん、女の子だったのか!!」
ずっとマコトという男の子だと思っていた少年の顔が、目の前にいる彼女と面影が重なる。
確かに彼女だ。マコちゃんと呼んでいた。二人でよく遊んだ。
少年たち、いや少年と少女による郷愁の記憶。
「今更なに言ってんのよアンタ。マコちゃん、こんなバカの相手してもらって悪いねぇ。今度ゆっくり遊びにきなよ!」
「いえいえ、お構いなく!」
母は言うことを言うと、買い物袋を片手にさっさと立ち去っていった。
残された二人。しばしの沈黙。
僕があんぐりと口をあけたまま立ち尽くしていると、彼女がクスっと笑った。
「ごめんね。覚えてないだろうなってこと何となくわかってたけど、面白いから続けちゃった。」
「こっちも・・・ごめん。全然覚えてなかった。それどころかずっと勘違いしてた。」
「ふふ。あの頃は私も男の子に紛れて遊ぶのが好きだったし、それで良かったんだよ。楽しい思い出だったしね。でさ、今ならトーゼン思い出せるんでしょ?」
「うん、もちろん・・」
彼女の顔は、再びイタズラっぽく笑っている。
ジトっとした目で、人差し指を立てて。
僕は思い出していった。当然、今なら思い出せる。
勘違いさせるような言い方をしていたけれど、彼女の言ったことに嘘は無かった。
頭の奥から懐かしい記憶が湧き上がってくる。
お腹がすき過ぎて泣いてしまったこと。
同じ単語を繰り返す終わらないしりとり。
そして二人で歩く心細い夜に・・・・
久しぶりに思い出した失態に、僕はひたすら「忘れてくれ」と懇願した。
(おわり)
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