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少年
志崎くんに手を引かれて坂へ飛び出す。
数歩、駆けたころには空は暗くなっていて、ざああ、と強い雨粒が降り注ぎ始めた。
瞬く間に地面がぬかるんでいく。ぼくたちは駆けることができなくなった。頭のてっぺんから靴下の中までぐちょぐちょで、一歩進むたびに靴に入り込んできた水が指先をふやかしていく。
昼が訪れた。
耳から頭の中を壊してしまうほどの爆音が鳴り響く。ぼくは思わず志崎くんに抱きついた。志崎くんがぼくの袖をぎゅうと握る。
はやく降りなくてはならないのに、足が進まなくなってしまった。世界が割れたような破裂音が、まだ耳にこびりついている。
どっどっ、と大きく激しく動き始めた心臓に、もうぼくは死んでしまいそうだった。
「降りよう」
そう言う志崎くんの声もか細くて、雨音に消えてしまいそうだった。ぼくは頷く。
昼は幾度か訪れては、雷鳴を轟かせた。
木に近付かないように気をつけながら、たまに変わり果ててしまった街並みを見る。橙を反射させる建物たちは息を呑むほど美しかったはずなのに、雨のカーテンが幾重にも間に入った先に街は息を殺さなければならないほど恐ろしい。
街に降り注ぐ雨が、いつか化け物の形を成してじろりとこちらを見るのではないか。そんな空想も止まらない。
登ってきた倍の時間をかけて降りたぼくたちは、ようやく中腹にある休憩所までやってきた。
無意味だとわかっていながらも、二人で揃って屋根の下に入り込む。
「雨が止むまでここで休もう」
ぼくは志崎くんに提案した。
もうお母さんに怒られるのは分かりきっていたが、この大雨は都合の良いものである気もしてきていたのだ。雨で帰ることができなかったと云えば、お母さんは叱りながらも抱きしめてくれるかもしれない。
少なくとも、ぼくへ失望してぼくのお母さんであることをやめてしまったりは、しないはずだ。
しかし志崎くんははっきりと「それはできない」と言った。
志崎くんは志崎くんではないように目が開いていて、階段をずっと見ていた。志崎くんの視界に、もうぼくは、映っていなかった。
「だけど危ないよ。滑って長い階段を転げ落ちてしまうかもしれないし、雷に打たれてしまうかもしれない。雨はいつか止むのだから、ここで待とうよ」
屋根の下から飛び出そうとする志崎くんの腕を、ぼくは咄嗟に掴んだ。このまま飛び出していくことを許したら、もう二度と、本当の意味でもう二度と、志崎くんとは会えなくなってしまうような、そんな危うさを感じずにはいられなかったのだ。
「満島、離してくれよ」
「危ないよ、ここで待とう。もしかしたらお母さんたちが迎えに来てくれるかもしれないし、雨が止むまで待とう」
志崎くんの腕の力がなくなる。するりと、ぼくの手から引き抜かれてしまった。志崎くんの体が屋根から出て、あっという間に全身を雨が覆う。
「待っていたら、置いていかれるよ」
なにを言われているのか、ぼくには分からなかった。ただ細まった目からは涙が溢れているように見えた。雨のせいかもしれなかった。
ぼくのせいで、志崎くんは今きっと、悲しいのだ。そう思うとやるせなくなって、ぼくも屋根の下に出る。
だけどぼくは志崎くんを屋根の下に引き戻すことしかできなかった。落ちたいくつもの大きな木の枝が、階段を塞いでいるのが見えたのだ。
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