紅茶のクッキー

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 学校を出てすぐにある下り坂を、少し小走りで歩く。紅葉を孕んだ風がぴゅうぴゅう吹いて、ぼくの頬を撫でた。  長袖を着ていても、風が直接肌にあたっているみたいだ。ぼくは、帰ったらお母さんに頼んで、去年買ってもらったコートを、タンスから出して貰おうと決めた。  坂を下りきって家がたくさん並ぶ街に入る。木が少なくて、家ばかりのこの景色がぼくはあまり好きじゃない。  等間隔に十字路が現れる道路は、よく気を付けていないとすぐに知らない道へとぼくを誘う。  ぼくは、足を緩めて慎重に歩いた。庭の大きな白い家と、赤い屋根が目立つ家を過ぎたら右に曲がる。古くからある、雑草が多い家を過ぎて、その隣の家で飼っている犬のベスの遠吠えから逃げるように今度は左に曲がった。そこから十字路を三つ過ぎる。最後の十字路には、小学生を描いた木の看板が置いてあって、「飛び出し注意!」の吹き出しの方向に曲がれば、ようやくぼくが暮らす家に辿り着いた。  ホッと息が漏れた。いつか迷子になってしまうんじゃないかと、いつも緊張する。お父さんかお母さんが手を繋いでいてくれていたら平気なのに、ぼくはどうにもこの等間隔の造られた景色が苦手なのだ。  ぼくが玄関を開けると、芳ばしい紅茶の匂いが漂って来た。たぶん、紅茶のクッキーだ。さく、と生地がほころぶ感触を想像して、口の中に唾が溜まった。 「ただいま」  リビングに入ると、ちょうどお母さんがキッチンから出てきたところだった。 「おかえり」  お母さんにランドセルを預けて、手を洗いに行く。そこでぼくは、用事を思い出した。いや、忘れていたわけではないのだけど、どうせまた外に出るなら、手を洗うのは少しばかり無駄だと思ったのだ。 「どうしたの?」  急に足を止めたぼくに、お母さんが不思議そうに聞く。 「今日も志崎くんがおやすみだったから、プリントを届けに行かないといけないんだった。手を洗う前に行ってくるよ」  あらそれなら、とお母さんはキッチンに戻った。そして、クッキーを数個、袋に包んで、ぼくに差し出す。 「志崎くんにお裾分けよ、お口に合うといいけれど」  ぼくはそれを受け取りたくなかった。ぼくのためのクッキーだったのに、どうしてお母さんは志崎くんにあげるのだろう。  だけどお母さんは優しい顔をしていた。だから、またぼくは、惨めになった。一度聞こえなかったふりをしてみたけど、もう一度「お願いね」と言われると、ぼくはもう、受け取るしかない。  ランドセルからプリント入れを取り出して、志崎くんに渡すプリントだけを抜き取る。  ぼくはわざと、その紙を強く握ってみた。くしゃりと、胸の奥がつぶれたような感覚した。
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