紅茶のクッキー

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 志崎くんの家は、学校の向こう側にある。長い坂をのぼらずに、坂の麓から商店街のほうに行くと穏やかな道で学校の裏に辿り着くのだ。  商店街を抜けると、古びたビルや建物が並ぶ通りに出る。ぼくが住むあたりと似ているけど、少し昔に戻ったみたいな風景だった。  志崎くんの家はアパートで、錆びた階段が目印だ。  他の人と同じ家に住むとはどのような生活なのだろう。もしぼくと仲良くしてくれるような子が一緒だったら、楽しいかもしれない。  だけどその子の足が速かったら、ぼくはもう、そこでは生活できないのだと思う。  一番奥の部屋のインターホンを押す。  どたばたと音がしたと思うと、勢いよく扉が開いた。慌てて後ろに逃げると、段差があったらしく、ぼくは無様に尻もちを着く。  扉を開けたのは、ぼさぼさの頭をした女の人だった。おっぱいが見えそうな、薄い服を着てぼくを睨んでいる。  「なに、寝てたんだけど」と掠れた声は聞き取りにくかった。ぼくは頭の中で何度も音を反芻し、数秒かけて、ようやくその意味を理解する。 「学校のプリント、持ってきました」  差し出すと、女の人は大きく舌打ちをして、ぼくからプリントを奪い去った。それからバタンッと勢いよく扉を閉める。  扉が閉まったとき、大きな風が吹いて、雑草がはためいていた。  ぼくの心臓はバクバクしたままだ。あの女の人は、たぶん志崎くんのお母さんだ。前にプリントを届けに来たときは、家の中でテレビを見ていた。  まだ足ががくがくと震えている。はやくお母さんのところに帰りたかった。だけど、体に力が入らないのだ。    仕方なく雑草を眺めていたら、もう一度扉が開く。今度は男の人が出てきた。男の人は、あくびをしながらぼくを鼻で笑って、どこかに消えていった。  そして、ぼくは持っていたクッキーが無いことに気付いた。慌てて地面を見渡す。  ぐしゃ、と固いものに擦れる音がして立ち上がると、ぼくのおしりの下でぐちゃぐちゃになっていた。  胸が詰まるように苦しくなった。どうしてお母さんのクッキーがこんな目に遭わないといけないのだろう。ぼくは知らずのうちに泣いていた。  お母さんが悲しまないように、帰りながらクッキーをひとつずつ食べた。紅茶の香りが漂ってきて、優しい味がする。ぼくが食べるはずだったクッキーが、こうしてちゃんとぼくのお腹の中に入っていくだけなのに、食べるたびにいけないことをしている気分になる。  お行儀が悪いけど、袋の入り口を口にあてて、粉になった部分も全部食べる。水分がなくなった口の中は少し気持ち悪く、ざらざらした粉は喉に張り付いた。  口の中に唾を溢れさせて、張り付いた粉を湿らせじっくりと飲み込んでいく。  クッキーが入っていた袋は、本当はいけないことだと分かっていながら、自販機の横に置かれたペットボトル用のゴミ箱に押し込んだ。
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