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4. 現(うつつ) ~いま・その2~
「深雪さーん」
何度も呼ぶ声が、だんだん近くなり、目が覚めた。その視界に、1人の見ず知らずの婦人の顔があった。
「よかったぁ……」
婦人はそう言って、はぁっと息を吐く。
(……?よかった、って……?)
自分の置かれている状況が飲み込めず、辺りを見回す。
と、急にめまいがし、たまらず目を瞑る。
「無理しないで」
婦人の、おっとりとした優しい声がした。
落ち着いたところで、そっと目を開ける。優しく微笑みかける婦人に、
「どうして……?」
わからない状況が、そんな言葉になって出た。
「死ぬところだったのよ。公園の樅の木の下に倒れていて」
(あぁ……)
やっと思い出してきた。
駿介を待っていたのだ。
1年前に、寒さにうたれて亡くなった、駿介のことを……。
(私のせいだ……)
自分を責め続けた。
人はみな、深雪は悪くない。運が悪かったんだと言ってくれた。
深雪が言ったように、先に店に入って待っていればよかったんだとも。
確かに、樅の木の下での待ち合わせを提案してきたのは、彼だった。
でも……
(どうしてあの時、もっと強く言わなかったのだろう。先に店に行っていてと)
浮かんでくるのは、後悔ばかり。慰めや励ましの言葉は、ありがたくて、嬉しいけれど……
(そんなに簡単に、受け入れられないよ……)
この1年、そんな気持ちで生きてきた。
再びクリスマスが近づくにつれ、去年の駿介くんのように、樅の木の下で、今度は駿介くんを待ってみたい、いや、待ってあげたい、そう思うようになった。
願わくは……イブの日は、深雪が望んでいた通りの天気になった。
「死んでもよかったんです。駿介くんに会えるなら」
婦人から目を逸らして言った。
樅の木の下で、吹雪にうたれていると、1年前、駿介がどんな思いで私を待っていてくれたのかと……
思いが募って、涙が溢れてきた。
(同じ思いができるのなら、そして、彼の元に行けるのなら……)
寒さで朦朧としてくる中、深雪は、そんな気になってもいたのだ。
「だめ。あなたは生きなきゃ」
ベッドサイドの婦人が、そう言って手を握り締めた。その手を振り払い、
「あなたに何がわかるんですか?」
婦人を睨んだ。婦人はひとつ頷き、「そうね」と言ってから、
「駿介さんに救われたの。あの時」
と、1年前に何があったのか、話してくれた。
夫が病に倒れ、介護をしながら、その分の収入も得るため、昼夜問わずに働いていた。
その過労にあの日の吹雪が追い討ちをかけ、樅の木の前で倒れたところを、駿介に救われた。
その話を、深雪は複雑な思いで聞いていた。
(この人が樅の木の所で倒れなかったら、駿介くんは死なずに済んだんじゃないか……)
(夕べだって……ほっといてくれれば、駿介くんの元に行けたのに……)
理不尽だと薄々分かっていながら、怒りすら湧き上がり、婦人を睨む。
と、婦人が急に床に膝を付き、
「ごめんなさい」
と頭を下げた。そしてしばらく、そのままの姿勢でいた。
その肩が小刻みに震えるのを、深雪は見た。
(この人にだって、事情があったんだ)
そう思えて、胸の中の怒りが少しだけ薄らいだ。
それから婦人は、膝を付いたまま、涙で濡れた顔を上げると、
「あなたが元気になったら、一緒に行きたい所があるの」
とだけ言った。
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