5. 森の教会

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5. 森の教会

 数日後に退院した深雪が連れて行かれたのは、公園からバスで10分ほどの、森の中の教会だった。 それは、夢で見たのとまったく同じ景色だった。  茫然と立ち尽くす深雪の横で、婦人も教会を見上げながら、 「私ね、今年の春に、ここで結婚式を挙げたの」 「えっ……?」 深雪は、あまりに唐突な話についていけず、キョトンとした目で婦人を見る。 「いろいろと、理由(わけ)あってね……」 婦人は憂いた目になって、それまでの波乱な人生を語り始めた。 出身地である静岡の短大を出た婦人は、そのまま地元の会社に就職した。 そこで、道ならぬ恋に落ちた。相手は20も年上の上司。 妻子のいる、一見、真面目だけが取り柄のような人。 「まさかそんな人と、って思うでしょう?でもね、恋って、落ちるものなの。私もそうなって、初めて知った」 道ならぬ恋……なのに、教会を見上げながら話す婦人は、どこか幸せそうにすら見える。 それから2人は、駆け落ち同然でこのS町に辿り着いた。 「それからが大変だった」 と婦人は続けた。 彼は、妻とは何とか離婚できたものの、仕事を失い、多額の慰謝料と養育費の支払いが残った。 全てがゼロ、いや、マイナスからのスタート。 2人して必死に働き、気がつけば20年の歳月が流れていた。  やっと将来への目処が立ったと思った頃…… 「彼に病気が見つかった。余命1年……」  婦人はそう言って、唇を噛み、俯いた。 「……えっ、それで?」  掠れる声で訊く深雪に、愁いを帯びた瞳を向け、 「朱美(あけみ)、結婚式挙げようよ、って……」  婦人の語尾が、かすかに震えた。   彼は、この町の結婚式場の雑務係として働いていた。それが、この森の教会だったのだ。  彼も、病に蝕まれながらも必死に働いた。朱美も、それまで以上に。  いつしか、朱美の体で過労が限界を超え、そこに吹雪が追い討ちをかけた。  結果、イブの日、公園の樅の木の前で倒れた。  何度も洟をすすりながら話した朱美は、また教会の屋根を見上げた。それでも収まりきらない涙が、頬を伝った。 「……よかったですね。結婚式、挙げられたんですね」  もらい泣きしそうなのを堪えながら、深雪も声を震わせる。 朱美は下唇を噛み締めながら、うんうんと頷いた。それから、深雪に向かって 「駿介さんに助けてもらったから。本当に、ありがとうございました」  両手をそろえ、深々と頭を下げた。 「あっ…いえ……」  いいんです、と言いたかったけれど、そこまでの境地には、まだなれなかった。   「よろしければ、お茶、しませんか?」  涙でくしゃくしゃの顔を上げた朱美が誘った。
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