想いを重ねて

1/1

11人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ

想いを重ねて

 ベルカントの腕の中でサリーナは硬直していた。手巾とともに滑り落ちた木片が床で乾いた音を立てる。  長身のベルカントの胸にサリーナの耳が触れていた。激しく打つ心臓の音を聞かれるのは面映い。しかし何より、ベルカントは今の自分の表情を見られたくなかった。きっと情けない顔をしているに違いない。  ややあってサリーナの手のひらが、ベルカントの胸を押し返した。 「お茶が冷めてしまいますわ」  声は震えている。困らせていると自覚しながら、ベルカントは回した腕を緩めなかった。 「今、少しの間だけでいい」 「でも、窓が……いけません、私などに」 「俺は構わない。あんたに何か言う奴がいたら、脅されて仕方なかったと答えればいい」  背を丸めて上半身でサリーナを包む。こうなると女の力では振り解けない。男が卑怯なのは宿命だ。 「サリーナ、あんたが好きだ。何もしてやれないくせに、求める気持ちを捨てられない」  抱きしめる腕にサリーナのささやかな抵抗と体温が沁みる。自責とやるせなさで締め上げられても放してやらない身勝手は、たとえこれで嫌われたとて、痛みごと思い出として刻みたいベルカントの切実だった。 「畏れ多いことです……私の身分では、とても」  サリーナは俯く。湿った吐息が衣服を抜けて肌に届いた。ベルカントは言葉に詰まって、そっと彼女の髪を撫でた。襟足から顔の輪郭をなぞる。頬にはやはり涙の筋が、紛糾した女心を表していた。  親指で拭うと、さらに雫がこぼれる。彼女の瞳に映る自分を見て、ベルカントは堪らない気持ちになった。 「サリーナ」  名前を呼ぶ。返事の代わりにサリーナはゆっくりとひとつ瞬きをした。 「好きだ」  目を見てもう一度告げる。情けない顔を晒したはずだが、サリーナはベルカントの胸に頭を預けてきた。細い腕がおずおずと腰に回ってくる。力強く抱きしめ直せば、応えるようにしがみつく。 「あなたは、ひどい人です」  呟いたあとサリーナは声を上げて泣き出した。しゃくりあげる隙間にこぼれる思いの丈に、ベルカントは耳を澄ませた。 「行きずりの女をその気にさせて戦場に行ってしまった。残された私は、ただひたすらに無事を祈る毎日でした」  ベルカントの服を掴む手に力が籠る。 「知らないままでいたかった。自分の欲も、あなたの真心も。あの月の欠片で、私は十分だったのです。期待してはいけないと自分に言い聞かせてきたのに、あなたは、私を惑わせる!」  サリーナは両手で顔を覆って床に(くずお)れた。こんなに取り乱すほどベルカントへの想いが(くすぶ)っていたのには、当のサリーナも今日初めて気づいただろう。  ベルカントは横に座って彼女の背をさすった。落ち着くのを黙って待つ。肩を抱いたり顔をのぞき込んだりせず、呼吸を数える。泣かせることしかできない男だ。泣きたいだけ泣かせてやるくらいの甲斐性は見せてやらねば。  このまま朝になるなら、それも悪くない。サリーナの嗚咽が止まったあとも、ベルカントはしばらく背に手を置いたまま様子を伺っていた。  静寂を破ったのはサリーナのくしゃみだ。  いつのまにか暖炉の薪が燃え尽きていた。 「寒いのか?」  火を点け直そうと暖炉に向かうベルカントを、 「私がやります」  サリーナが追いかけて来ようとして──足が痺れていたのか、立った拍子によろめいた。ベルカントが反射的に伸ばした手が倒れかけた体を受け止める。安堵の息を()いたところを、泣き腫らした目が見つめていた。  ベルカントはまだ足取りが覚束ないサリーナを抱き寄せて口づけた。サリーナの冷たい指先が頬を撫で、暖炉に火を入れなければと思ったが離れがたくて、ベルカントはめいっぱいに広げた手のひらでサリーナの背を温める。二人はひとしきり唇を重ねあった。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

11人が本棚に入れています
本棚に追加