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「お母さん……もう眠いよ」
「おいで、明世」
広げた母の腕におさまり、優しく髪を撫でられるとすぐに瞼が下がってくる。懐かしい母の匂いが、この上ない安堵感になって。
──お母さん……私はがんばって……幸せになったよ……。
「偉かったね、明世。でも……あなたはまだ屋根のあるお家に帰りなさい」
──どうして?やっと会えたのに……もっとお話していたい……。
祖父と祖母が私の身体を優しく起こす。
「アキちゃんは、まだこっちに来てはいかん」
「アキちゃん……」
祖父がニカッと笑い、祖母が心配そうに私の顔を覗き込む。
母は私のおしりをポンと叩いた。
「まだ、頑張れるでしょ?」
その言葉を合図に、私は私の姿に戻ってしまった。まだ頑張れというのか?相変わらず厳しい母だ。
「わかった……次に会うとき私はボロボロのクタクタだろうから、杖とかシルバーカーの準備をしておいてね?それから、それから……」
頭の中に薄い膜がかかったようにぼんやりとしてくる。言いたい言葉はもう出てこない。
──また、迎えにきてね?この屋根のない実家まで。
母が頷いてくれたのかはわからない。
頭のまわりがやけに騒々しい。母の匂いが薬品の匂いに変わっている。
「母さん!!」
ゆっくり瞼を持ち上げると、真っ赤になった娘の目が揺れている。私を見つめる赤い目から、涙がポロリと溢れて落ちた。
術後、死線を彷徨ったくせに、私はどうやらこの世に戻されたみたいだ。
やっぱり、母は変わらず厳しくて優しい。
「……ただいま」
身体中が痛いし不快だ。けれどもそんな目で見つめられたら、涙を溢されたら、あと少し母でいたくなる。
入院中、病室の窓からよく外を眺めた。
黒い屋根、赤い屋根、青やグレーや白い屋根も見つけた。渋柿だろうけど、たわわに実る柿の木も。祖父のエールだろうか。
「戸祭さん、明日の午前中に退院ですって?羨ましい」
「はい、お陰様で」
ようやく明日退院する。
かわるがわるやってくる娘や息子、孫達で退屈する暇もなかった。
口々に皆、喋りだすのだから。
──母さん、あのね!と。
完
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