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平日は明美が、土日祝日は彼が家事を担っていたが、最初のうちは彼女から鋭い声がよく飛んできていた。料理はともかく、掃除や洗濯がからきし駄目だったからだ。
とはいえ、数カ月こなすようになったら物の場所や掃除や洗濯の手順も覚えられるようになり、洗剤やらスポンジやらの在庫が無くなりそうになれば自分から進んで買いに行き、詰替えや補充も行えるようにはなっていた。そのうち子供達も手伝いをするようになり、家族揃って役割分担をして家事をするのが彼の楽しみの一つになっていた。
(明美……俺はいい夫だったか? いい父親だったか? いいや……俺は明美に惚れられる程度の男だったのか?)
舐めるように踊る橙色が喪服よりも黒い炭と、死装束よりも白い灰を広げていくのを、彼は悲哀の濃い顔つきで見守る。次第にそれの輪郭が失われ、玉砂利も橙色も白も黒も全てが希釈され、ぽたぽたと玉砂利に丸く濃い染みを作っていく。それでも咽るような芳しい香りだけが、鮮明に彼の回想を彩った。
(もしかして……?)
そしてずっと引っかかっていた、煙草の入っていた箱が何故あの場所にあったのかが、ようやく理解できたような気がした。
(……そうか。明美は……明美はずっと気にしてたのかもな……俺が禁煙するのに苦しそうにしていたのを……だから敢えて俺が見つけやすいところにあの箱を置いたのか……?)
真偽は不明だが、いかにも明美のやりそうなことだった。彼女は妙な所で不器用なのである。それこそ喧嘩した翌日に彼の好物のおかずを作ってくれるなど遠回しに彼に気を遣ったり、感謝の言葉ですらはっきりと言わなかったりした。大抵はカードか何かに感謝の気持ちを書き付けて彼に渡してくれたのだが。彼女の思いやりがじんわりと染み渡ると同時に、彼の袖はしとどに濡れ始めていた。
そして彼はぼやけた視界が少しずつ輪郭を取り戻した段階で、小さくなった橙色と、燻るように少しずつ白を広げているそれにバケツの水を掛ける。湯気が立つ音がして、完全に消火されたのを見届けてから、彼は夕闇色が紺碧を連れて来たのにようやく気づく。すっかり暗くなったリビングに入り、電気をつけて夫婦の寝室に向かい、優しく微笑む明美が迎えてくれたのにホッとして彼女の前に正座した。
「明美……ありがとうな。ずっと……ずっと俺のことを気にかけて……俺を愛してくれて……俺もずっと……今までもこれからも、明美だけを愛してる」
時が経つにつれて段々と若くなっていく明美は彼の言葉には応えない。しかし彼の頭の中では応えるのを確かに聞いた気がした。
私も愛してるわよ
と。
〈了〉
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