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健司の母は、愚直だった父を置いて家を出た。思春期の頃を、仕事人間の父と過ごした。父は再婚をせず、健司にとっては近くに住んでいた叔母が、母親代わりだった。出戻りだった叔母は、負い目があるのか、父にも健司にもよそよそしかったが、健司は叔母の発する女性的なものを、常に身近に感じながら、母ではないその存在に、常に苛立って育った。
離れたいけれど、離れてほしくはない。そんな気持ちを、鬱々と溜め込んで思春期を過ごしたのだった。
加奈子はどこか、あの叔母に似ていた。顔が似ている訳ではなかったが、どこかその風情に似たものがあった。疎ましく思う気持ちが募るほど、この女を手放してはいけないと、心の中で誰かが囁いていた。
加奈子が後じさったのか、アスファルトの上の小石が音を立てた。
「動くなって」
健司は苛立ちを隠さずに言った。
犬は、人間のように二人を交互に見て、低いうなり声を発した。口の端から、涎が滴っていた。
不意に健司は、加奈子に逃げるように言うという考えに囚われた。犬は一匹だ。一人が走れば、それを追う筈だった。こんな所で犬に噛まれて死ぬのは御免だった。
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