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「おじゃましまーす!」
土曜の18時も過ぎた頃。リュックを背負い、買い物袋を両手に提げた陽太がわが家へやって来た。思いがけず陽太の家に泊まった朝、夕飯食べにおいでと陽太のお母さんに言われたこともあったけど。今日のお泊り会は陽太の希望で、オレの家での開催になった。母とふたり暮らしのちいさなアパートが、陽太の明るい声でいっぱいになる。
この間の昼休み、普段とは違った様子を見せた陽太だったけど。次の休み時間にはもういつも通りだった。皆を照らすほど明るくて、元気で。改めて沢田が言ったことを説明しようとすれば、気にしてなどいなかったようですぐに別の話を振られた。
「あれ、皐月の母ちゃんは?」
「今日は夜勤」
「マジか。じゃあ今日は俺、皐月のことひとり占めじゃん」
「はは、なんだそれ」
自宅でシャワーを浴びて汗を流してきたらしい陽太は、さっそくキッチンに立った。オレの好物の唐揚げを作ってくれるらしい。今日も部活だったのに悪いなと思いつつ、正直かなり楽しみだ。
「オレはなにしたらいい?」
「うーん……あ、ご飯炊いといてもらえる?」
「それならもうセットしてある」
「さっすが皐月! じゃあさ、レタス持ってきたからサラダにしてほしい」
「了解」
自分ちのキッチンで陽太と並ぶのは、なんだか不思議な心地がする。ボウルを出して、水にさらしながらレタスをちぎって。ふと隣を見ると、陽太は鶏肉を切り分けている。そばにはレシピらしきものが書かれた紙が置いてあって、それを参考に味付けをするようだ。
「え、皐月もしかして今俺のことめっちゃ見てる?」
「うん、見てる。陽太が料理してんのとか、めっちゃレアだし」
「マジか~、なんか照れるじゃん」
「料理得意じゃないとか前言ってたけど、なんか上手くない? 特訓ってマジでやったんだ?」
「いや、それは結局全然できてなくて……って皐月めっちゃ褒めるじゃん!? マジで照れるんだけど!」
「あ、バッカ! 包丁あぶねぇ!」
なにをそんなに照れることがあるのか、陽太はあろうことか包丁を持ったまま手で顔を覆った。慌てて手を離させて、肝を冷やしたまま顔を見合わせて。安堵すると今度は笑いがこみ上げてきた。
気をつけろよな、うんそうする。
そう言い合って肩をぶつけられる距離が、今日はなんだか胸にくすぐったい。
全部揚げ終わる頃には、なかなかの時間が経っていた。オレの母もいると思っていた陽太が、多めに鶏肉を準備していてくれたからだ。今度ちゃんと礼をしようと心に決めつつ、ご飯をよそう。陽太の分は、マンガに出てきそうなくらい茶碗にこんもりと盛った。
ダイニングテーブルにはサラダと簡単にオレが作った味噌汁、それから陽太特製の唐揚げ。いい匂いにつられて、腹がぐうと鳴ってしまった。気恥ずかしくて笑ったら向かいの陽太も同じような顔をしていたから、どうやらおそろいのようだ。
「な、熱いうちに食べてよ」
「だな。じゃあ、いただきます」
「いただきます!」
元気に手を合わせた陽太は、けれど固唾を飲んだ様子でオレを見つめてくる。唐揚げへのジャッジが気になるんだろう。なんだか責任重大な気がして、オレも緊張を感じながら箸を伸ばす。
「あ、美味そう」
箸から伝わる感覚だけでそう思ったのは、初めてだ。自分から出た言葉に自分で驚きつつ、そっと口に運ぶ。ひとくち齧るとカリッとした衣の中からジューシーな味わいがぶわりと広がって、オレはつい目を見張ってしまった。おおきな唐揚げに口をもごもごとさせながらも、一秒でも早くこの感動を伝えたくなる。陽太と目を合わせ、何度も頷いてみせる。
「……え、もしかして美味い?」
「ん……マジで美味い! 陽太すげーよこれ。オレ、今まで食った唐揚げでいちばん好き」
「それはさすがに褒めすぎじゃない!?」
「そんなことねぇって。お世辞なしで最高」
「うわー、嬉しすぎる」
「陽太も早く食えよ。いやオレが言うことじゃないけど、マジで美味いから」
「ん、分かった。あっつ……うん、うん美味いな! あーよかった、なんかホッとした」
陽太はそう言って笑って、味噌汁を啜った。皐月の味噌汁飲めて幸せ、なんて大袈裟なことを言った後、少し目を伏せて微笑む。
「本当はさ、ちゃんと特訓したかったんだけど……全然時間とれなくて。せめてと思って、色んな唐揚げ食べて研究したりはしてて。でも……焦っちゃってさ。実は今日のこれ、一発本番だった」
「焦った? ってなにに?」
「それは……こないだの昼休みさ、皐月と沢田たちが話してたじゃん」
「うん」
「皐月、ってさ。誰か……やっぱなんでもない!」
「いや言えよ、気になるじゃん」
なにかを言いかけたのに、陽太は口を閉ざしてしまった。あの時、沢田がオレのことを“恋するお年頃”だなんて言ったのはその場で否定したし、そもそも気にしていないように見えていたのに。陽太はなにに引っかかっているんだろう。
でも陽太は、この場の空気を変えるかのように笑ってみせる。
「気にすんなって。なんつうかさ、皐月の胃袋掴んでみようかなー……とか? 思っちゃって」
「……なんだそれ」
これ以上聞かれたくないんだろう。そう伝わってきたから、同調するように笑うしかオレはできなくて。
「な、もっと食べてよ。唐揚げいっぱいあるし!」
「ん、だな」
陽太に促され、またひとつ唐揚げを頬張る。うん、本当に美味い。たくさん食べたいけど、食べ終わるのも嫌だという不思議な感情が生まれるくらいだ。宝ものにして、ずっと大事に持っていられたらいいのに。
「美味い?」
「うん、最高」
陽太が明かしてくれない限り、どう寄り添えばいいのかオレには分からない。これが逆の立場だったら、陽太は上手に手を差し伸べてくれそうなのに。不甲斐ないけど、今伝えられる限りのものをめいっぱい届けようと、オレは更に唐揚げに箸を伸ばす。
「はは、めっちゃ食べてくれるじゃん!」
「だってすげー美味いもん。陽太、ありがとな。今日お泊まり会できて、すげー嬉しい」
「皐月……うん、俺も!」
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