矢城白也 エッセイかな?

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世界に1つしかない特殊なえんぴつ、それを無料で偶然手に入れる権利を得たらどうするかな?えんぴつを手に入れて大事に使う?あるいは、ガラスケースや金庫にしまうかもしれない。けれど普通のえんぴつを手に入れたらどうするか?多くの人は雑に扱うだろう。つまり代わりの効くものは大事にされない… そして大してそれにこだわられることもなく、普通のえんぴつAは、手に入れようともされず普通のえんぴつBを選び代わりに受けとる者も現れることだろう。 希少でないものほど、価値は下がり、それにこだわって手に入れたいと思う者は減る。 人間は、希少であるものを大事にしたり、愛したり、好んだり、高価に感じたりするようできている。 仕事にしろ、友情にしろ、恋愛にしろ、なんにしても基本的に希少であるもの数の少ない代わりが効きづらい者が魅力を感じられ、人に選ばれ、大切にされる。 ゆえに、人は、大切にされたいなら、魅力的になりたいなら、愛されたいなら、好かれたいなら、高価な人間だと思ってもらいたいなら、 自分が少しでも、唯一無二な存在に近づけるよう努力した方が良い。名前が珍しいだとか、◯◯さん、貴方はこの世に一人しかいないだとか、そんなレベルの低い唯一無二感なんて、その程度じゃ足りないし、どこどこに住んでる。男性の珍しい名前の◯◯さん、そんな程度の希少性じゃ簡単にそれに近い存在が代わりとなる。その場所に住んでて男性で名前が同じく珍しいたぐいの存在がまたそこに何十年もしたらたぶん現れるし。そこじゃなくとも近い立地のどこかに似たような存在が現れる、完璧、完全に同じ条件じゃなくとも似たような存在がいれば唯一無二としての扱いのレベルは大幅に下がるだろう。 まあ、ありきたりな存在として扱われるということだ。 もっと簡単に言うと、同じ種類のどんぐりの木がいくつも並ぶ場所でどんぐりの実がたくさん落ちていたとしよう。わずかに色の濃淡が違ったり大きさ、形がわずかに違う。だが、その1つ1つ違うどんぐりの実を大事にする人は、少ない。 理由は、誤差程度のわずかな違い程度では、特殊性、特別性、を人間は、感じられないからだ。 もっと金色にはじめから光るどんぐりの実だとか、明らかに他より大きいどんぐりだとか、誤差みたいな違いじゃない、大きな違いじゃないと、貴重、希少とは人間は、なかなか感じられないのだ。 それから他人が気づくことができる明確な希少さ、貴重さを産まれつき持っていなくとも、後天的に手に入れる方法は、あるだろう。 努力しだいで誤差程度、誤差みたいな、違いじゃない特殊さ特別さを何か一芸でもいいから極める、あるいは極みに近い領域までいけば、希少、貴重な人間となり希少、貴重という人類にとって、とても重要な魅力を手に入れることができるだろう。 産まれつき希少、貴重じゃないなら、後から希少、貴重になればいい。 頑張るのだ。
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