パブロフの犬作戦

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 「羽那(はな)、また矢野(やの)先輩のとこ差し入れ行くの?」    放課後、机の中のテキストをリュックにしまいながら、私は羽那に尋ねた。    「ううん、今日は行かない日!」    羽那が意気揚々と答えたので、私は首を傾げた。  「何か用事あるの?あんなに毎日欠かすことなく通ってたのに…」  先輩の部活ある日は足蹴く通っていたのに、急にどうして?行かない日ってどういうこと?と、不思議に思った。  「ううん、ちょっと作戦があってね…」  羽那は、フフフと悪戯に笑った。  「作戦?」  「そう。琴音(ことね)は"パブロフの犬"って知ってる?」  「パブロ?犬?何それ」  私が尋ねると、羽那は私の手を引いて教室の窓際へと移動した。  クラスメイト達は「じゃあね~」「バイバーイ」と手を振り合って教室から出ていく。  その様子を目で追ってから、羽那は小さな声でパブロフの犬について説明を始めた。    「パブロフの犬っていうのは、簡単に言うと条件反射のこと…どっかの国のパブロフっていう研究者の実験なんだけど…犬に餌をあげる前に必ずベルを鳴らすの…それを何度も繰り返すことで、犬はベルを鳴らしただけで餌が欲しくてヨダレを垂らすっていうね、けっこう有名らしいよ…」  私は、羽那の言っていることがまるで理解できなかった。  理解力が乏しいとか、そういうことではない。"パブロフの犬"がどういうものかはわかったのだが、それと先輩とどういう関係があるのかということ。  「…それで?」と、私がさらなる説明を求めると、羽那は得意げに続けた。  「それを恋愛に応用させて、部活に行くと私から差入れと褒め言葉がもらえる……"私が来たら気分がいい"っていう条件反射を刷り込んできたの…」  「はぁ…」  私はまだよくわからず、曖昧に相槌を打つ。  羽那は不安げに私の左右の目を交互に見つめる。  私の反応の薄さに急に自信がなくなったのか、羽那は弱々しい口調で説明を続けた。    「二カ月ずっと通い続けたから、今は行くの我慢の時期なの。今日で四日目なんだけどね……部活に行っても羽那来ないな、会いたいなーってならないかな?ってね…でも、私の方がすでに会いに行きたくて仕方ないんだぁ……けど作戦だからさ…」  私はようやく羽那の言っていることの意味が理解できた。  「飴と鞭みたいな?押してダメなら引いてみるってことね?そっかそっか、なるほどね…理解、理解。そんな難しい犬なんかに見立てないで最初からそう言ってくれたらよかったのに…」  羽那の言っていることが理解できて、私はスッキリしたが、今度は羽那が険しい顔をした。    「あぁ…ね。パブロフの犬作戦、いいと思うよ…きっと今頃、来ないなーって羽那のこと気になってるよ!」    私はちょっとストレートに言い過ぎたかなと、慌てて取り繕う。  すると、羽那は「そうかな?そうだと良いな~」と、うふふと可愛らしく笑った。  私の言動に一喜一憂する羽那、可愛いなぁ…と思った。  そして、不意に視線を教室の入り口に向けると、大きな人影が見えた。その人影は男子バレー部のジャージを着ている。  私は興奮のあまり鼻息が荒くなった。そして羽那の肩を軽くバシバシ叩きながら 「大きなワンちゃんが待ちきれずに会いに来たみたいだよ」 と羽那に耳打ちをした。  羽那は私の視線の先の先輩を認識すると、瞳をキラキラと輝かせて「矢野せんぱ~い!!」と、先輩の元へと駆け寄った。  長身の先輩を見上げて、嬉しそうにピョンピョン体を弾ませている羽那を眺めて  「犬はどっちだか…」  と、口元が緩んだ。  
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