三話 花屋のせがれ

2/5
24人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ
 うわさに聞いた山桜には、思った通り。(ぬし)がいた。サラサラとしたクセのない髪を、後頭部のあたりでひとつに結び、浴衣のような薄い生地の着物を(まと)った体は華奢で、腰や腕まで、病人のように細い。瞳はうつろで、まったく覇気がなかった。よく見れば、目鼻立ちの整ったきれいな顔立ちをしているようだったが、あまりに暗い表情をしているものだから、どう贔屓目(ひいきめ)に見ても、彼が綺麗だとか、美しいとは思えなかった。  かなり、弱ってる――……。親父が言ってた通りだな。  (たすく)は幼い頃から、なぜか植物の声を聞いたり、木の上で、妙な影をよく見た。いわゆる、木の精霊のようなものだろう。だが、こんなにもはっきりと姿を見たのも、まるで実体があるもののように触れたのも初めてだ。もしかしたら、父が植えた樹木だということが関係しているのかもしれない。  ――助、美しい木にはな、必ず神さまがいるんだよ。その木に似合いの、綺麗な神さまがな。  父の言葉を思い出し、助は頬を緩める。古くから生きる樹木や、美しい植物には、大抵の場合、神が宿っている。それは、父が教えてくれたことだった。  ――植物にはみんな心がある。だから、やたらと切ったり、枝を折ったりしちゃあ、だめなんだ。  以前、知人の知人の、そのまた知人に、評判の霊媒師がいるということで、紹介され、会ったことがある。その霊媒師には「それはあやかしだ、興味本位で近寄るのはよくない」と忠告された。だが、視えているそれが、あやかしなのか、神さまなのかは、(たすく)にとってはどうでもよかったし、自分から興味本位で近寄ることもしなかった。ただ、他人には見えないものが視えたり、聞こえたりする、ということは紛れもない事実で、樹木に憑いているそれのみを見たり、感じたりする、ということには、必ず理由がある、と信じていた。  俺と、親父にだけ視えるってことは、絶対に偶然じゃない。  今、隣で膝を抱える山桜の主。彼に出会えたのも、触れることができたのも、偶然ではないのだ。きっと。 「ね。山桜くん、名前は?」 「……吉野」 「よしの? それって、もしかして……、吉野山の吉野かな。ほら、奈良の有名な――」 「……知らない」 「そっか、そうだよな」  吉野、と名乗った山桜の主は、どうやらひどい人見知りのようだった。きっと彼はこれまで、人間と話したことはおろか、視える人間に見つかったこともなかったのだろう。もしかしたら彼は、人間を怖がっているか、嫌っているのかもしれない。――いや、おそらくはそうだ。吉野の目を見れば、わかる。この目は、人間に絶望と恨みを抱えた目。裏切られた目。諦めている目。少なくとも、好意的には見えなかった。  樹木の主に声をかけるときには、相手を選ぶようにしているが、こういうタイプはそもそも、コミュニケーションを望んでいない場合が多いので、そっとしておくように心がけている。ただ、彼だけは見捨てておけなかった。 「……名前の理由なんて、わからないよな。でもさ、吉野って、綺麗な名前だと思うよ」  そう言うと、吉野は眉をしかめてから、ぶわっと頬を赤らめた。人見知りで人嫌いだとしても、彼の反応は素直で好ましい。助は少しだけホッとしながら、笑みを零し、話を始めた。 「吉野くん。俺、隣町で園芸店をやってるんだ。この木はね、俺の親父が昔、植えたものなんだよ」 「ふうん……」 「でも、その木が今、切られそうになってるって聞いてさ」 「……知ってるよ」 「そっか! なら話が速い。俺はそれを止めようと思って、今日ここへ来たんだ」  その瞬間、覇気のない濁った瞳に、ほんのわずか、光が差した。  大鷹(おおたか)市緑ヶ丘町にある、花野井園芸店。地元自治会ではちょっとしたご意見番も務める、その店の主人が、先月、倒れた。閉業を考えていた、矢先の出来事だった。  息子である花野井(はなのい)(たすく)は、元々、種苗会社に勤務するサラリーマンだったが、実家の園芸店を父に代わって継ぐことを決意し、十年ほど勤めた会社をすっぱり辞め、今月、実家へ戻ってきたところだ。  父がたったひとりで始めた店は、開業当時は行列ができるほど繁盛していたものの、近年になって勢いがなくなりつつあった。細部にまでこだわりが強く、後継者も作らずにたったひとりで店を切り盛りしてきたたくましい父だが、最近は体力に限界を感じ、閉業を考え始めていたらしい。少しずつではあるが、店内の整理もしていたようだ。助は一度、跡を継ぎたいと申し出たことがあったのだが、頑固な父はそれを許さなかった。 『業績の悪い店を押しつけるわけにゃいかねえだろが。店は閉める!』  そう言い張る父に、助は仕方なく従うしかなかった。しかし先月、父が病に倒れたことがきっかけとなり、助は改めて決意したのだ。父が大事にしてきた店を潰したくはない。もう一度、店を繁盛させたい。その一心で、助は今月、思い切って種苗会社を退職した。  まだ、病床にいる父とは話せていないが、理解してもらうまで、とことん話し合う覚悟でいる。昨日もそのつもりで、助は入院している父を訪ねた。  ところが、父が病院のベッドでしきりに気にしていたのは、店のことではなく、一本の桜の木のこと、だったのである。 『助、オレぁな、昔、あの店を始めた頃、さくら公園の一本桜を植えたんだよ。そりゃあもう、いい山桜だった』  突然、なんの脈絡もなく、父は話し始めた。そのことをまるでずっと考えていたみたいに。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!