三話 花屋のせがれ

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『さくら公園の山桜か……。誰かに頼まれたんだっけ?』 『そうだよ。あの頃はそっこらじゅうで宅地開発しててさ、役所に勤めてる知り合いに、緑地に桜を植えたいんだけどって、頼まれちったわけだ。ほら、お前がちょうど生まれた頃の話だよ』 『へえ……』  父は得意げになって話し続けた。さくら公園の山桜を植えたのは、父だということは、助も知っていたが、詳しい話を聞いたのは初めてだった。 『それであそこに山桜を植えたのか。でも、なんで山桜にしたの? ソメイヨシノとか、オオシマザクラじゃなくて』  一般的に人気があるのは、その二種類だろう。花のあるうちは葉が出てこず、淡いピンク色の花が特徴のソメイヨシノか、あるいは白い花と香りのよい葉が食用に使われることの多いオオシマザクラだ。わざわざこんな街中に山桜を植えるのは珍しい。 『品種指定されてたの?』  助がそれを訊いた途端。父はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに口角を上げた。病床で横になり、明らかに体調が悪そうではあるのに、その時の父は本当に嬉しそうだった。 『いいや。市場の仲間に紹介してもらった生産者さんでよ、ほんとに丁寧に桜を作ってる人がいたんだよ。ソメイヨシノもオオシマザクラもあったけど、その人んとこであの山桜を見てさ。もう、一発で決めた。ひと目惚れだよ、はははっ』  父はそう言ったあと、照れくさそうに笑った。そのときの笑い声は、入院しているのを忘れてしまいそうなほど、張りのある声だった。 『そんなにいい木だったんだ。まだ苗木だったんだろ?』 『苗木でも、樹形がとにかくよかったんだなぁ。だけど、もう最近じゃあ、山桜なんか流行らねぇのかね。分家のあんちゃんが、この前来てさ、あの山桜、切ることになるかもしんねえって、そう言うんだよ』  それから、父は黙った。助もまた、初めて耳にした悲しいニュースに、相槌(あいづち)をうつのも忘れ、言葉を失った。なぜ切ることになったのか、訊ねるのもためらってしまうほど、父の声は悲しげだったのもあった。しばらく沈黙が続いた後、父は言った。 『……かわいそうになぁ。こんなことになるんなら、あんないい木、植えなきゃよかったよ。山桜なんか、大事にしてやりゃあ、何百年だって生きるってのにさ』 『そうだね……』 『虫がつくとか、落ち葉の掃除が大変だとか、クレームがしょっちゅうあるらしいんだよ。そんなもん、最初っからわかってる話じゃねえか。なぁ?』  よほど、愚痴が溜まっていたのか。父のぼやきは小一時間続いた。すっかり日が暮れてた頃、助は病院をあとにして、父の言葉を思い返していたが、病院を出たときにはもう決めていた。どうにかして、山桜の伐採を止めてみせる。そして、今年の春。病床にいる父に、必ず満開の山桜を見せてあげよう、と。  あの桜が、満開に咲くのを見たら。きっと父は喜ぶに違いない。満開の桜見たさあまりに、もう少しがんばって生きようと、病状がよくなるかもしれない。 「吉野くん……!」  助は、吉野の肩をぎゅっと掴んだ。途端に吉野はびくんっと体を震わせる。突然、名前を呼ばれ、肩を掴まれ、驚いたのだろう。うつろだった瞳をまん丸く見開き、まるでヘビに睨まれたカエルのように、怯えた表情で助を見つめていた。だが、助は構わずに言う。 「俺は君を助けたい。どうしても、君に消えられちゃ困るんだ」 「ど、どどどうして、そんな……」 「これを見てくれ」  助はポケットから、一枚の写真を取り出して、吉野に見せる。すると、吉野はすぐにハッと息を呑み、目を潤ませた。それは、十年前のさくら公園の写真。父のアルバムに挟んであったものだった。 「君の写真だよ。十年前の春。満開のときのやつだ」 「うん……」 「この横にいるのが、俺の親父。ずっと昔、君をここに植えた人でね、君が切られるって聞いて、すごく心配してるんだ。たぶん、本当は助けたいんだと思うんだけど……」  そう言いかけて、口を噤む。あまり考えないようにしてはいるが、声に出して、言葉にしてしまうと、悪い予想が現実に起こってしまう気がして、怖くなるのだ。ただし、目を背けていても、今、起きている事実は変わらない。助は、奥歯を噛み締める。 「親父は、体を悪くしてるから……。ここには来られなくて……」  そう言うと、吉野はじっと助の顔を見つめて訊く。 「体が、悪いの……?」 「そう。心筋梗塞なりかけで病院に運ばれてね……、入院してる。けっこう、悪いみたいなんだ」 「しん、きん……」 「あぁ、ごめん……。心臓がね、悪いんだよ」  助はそう言って、自分の心臓を指差した。すると、吉野はこくん、と頷く。どうやら、彼は理解してくれたようだ。助は続けた。 「ねぇ、吉野くん。俺、絶対に君を守るからさ。今年の春は、めいっぱい花を咲かせてほしいんだ。頼めるかな?」  やっと少し打ち解けてきたような気がしたのに、そう訊いた途端、吉野は眉をしかめると、また膝を抱えてうずくまり、かぶりを振った。 「……できない。僕にはもう、あんまり力がないから」 「力が? どうして……」 「僕も、病気なんだ。僕の体の中はね、がらんどうなんだよ」  彼の言葉に、助は絶望する。妙なことだ。樹木としてはまだまだ若年であるはずの山桜は、病に侵されていた。がらんどう――。つまり、幹の中には空洞ができている、ということだろう。 「そんな……、嘘だろ」 「ほんと。だからもう、昔みたいに綺麗には咲けそうにない」
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