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オブジェ
「ねぇ、沙奈さん。」
「はい。」
「私ね。」
「はい。」
「和ちゃんの事は男性として好きよ、愛しているわ。」
「そう、ですか。」
私は衝撃的な恵美子の告白に驚いたが、常日頃から彼女の夫に対する立ち居振る舞いに女を感じていた。
腑に落ちた。
そしてあれは七月の末。
婚姻届を出して数日後、買い物に出掛けた私は駐車場から近い階段を登り、部屋のディンプルキーを鍵穴に差し込んだ。
熱を帯びたアスファルトに陽炎が揺らめく暑い日だった。
ミーンミンミンジー
ミーンミンミンジー
アブラゼミが忙しなく鳴いている。
照り付ける太陽が少し傾き始めた頃、玄関ドアを開けると私の影がリビングまでのっぺりと伸びた。
「あれ?カーテン、閉めたっけ?」
開け放して出掛けた筈のカーテンが閉まり、東向きの部屋は薄暗かった。
目を凝らすとフローリング張りの廊下の奥に何かがあった。
「ヒッ!」
声にならない悲鳴。
悍ましさに足が竦んだ。
恵美子が気に入り選んだという、山吹に大柄なオレンジの花がプリントされたカーテンが揺れる逆光の中にそれが浮かび上がった。
恵美子が座っていたプラスチックの白い椅子
梅干しを漬ける樽
重石
それがまるでオブジェの如く積み上げられていた。
重石の上には新聞広告の裏紙が一枚置かれていた。
細いボールペンの文字、この達筆は恵美子のものだった。
女の執念を感じた。
丁度その時、背後に人の気配がした。
夫が呆然としていた。
「くそっ!」
積み上げられた樽を一瞥した夫は紙をグシャグシャに丸めるとゴミ箱に投げ入れ踵を返し恵美子の部屋に向かった。
その頃から、恵美子と夫の間でかなり激しい言い争いが度々起こる様になっていた。三人で何とか上手く暮らせると思っていた夫はひどく動揺して声を荒げ、抑えきれない恋情が溢れ出した恵美子は手当たり次第に物を投げつけ号泣した。
そしてある日突然
「かあさん、函館に戻るから。」
夫の言葉に私は耳を疑った。
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