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1 赤い牙
家出していた藤繁凛が戻ってきたと聞いたのは、彼女が失踪してからちょうど一週間が経ってからのことだった。
「本人から連絡は?」
ホームルームが始まる前、前の席に座った朱音が身を乗り出して訊ねてくる。
私は首を横に振って、空いている凛の席に視線を移す。
「凛の両親から電話があったって、親から聞いただけ。昨日の夜にいきなり帰ってきたらしいって」
「うちも一緒ね。『ご迷惑おかけしました』って、それだけ」
どこか納得のいかない表情で、朱音は手にしたスマホの画面を中指で弾く。
「怪我もなかったみたいだし、無事で良かったのは分かるんだけどさ。でもそれだったらなおさら、本人が何かひと言伝えてきても良さそうなものなのに。LINEやメールにも返事ひとつ返ってこないし」
「きっと、本人も家族も大変なんだと思うけど。今はそっとしておいた方が良いのかも」
「うーん、私は結衣みたいに冷静にはなれないよ。もし変な奴に拐かされたりしてたら、本当に洒落にならなかったんだから」
「朱音、声が大きい」
声を潜めて嗜めると、朱音は肩をすくめてスマホで頬を掻く。凛が家出したことを担任の田地川から伝えられていたのは、私たち数人の親しい友人だけだった。
「とは言ってもねえ……」
両手を頭の後ろで組んで椅子の背もたれに寄り掛かった朱音は、おもむろに教室の中を見渡す。誰も表立って言わないだけで、凛が行方不明だという噂はすでに生徒たちの間に広まっているようだった。
私に顔を近付けると、朱音は小声で告げる。
「凛のところってお硬い家柄だから、世間体的に病欠扱いにしたいのは分かるけどさ。でも今回は事件性が無かったから良かったようなもんで、下手すりゃ全国ニュースに行方不明中の高校生って顔写真出ててもおかしくなかったんだから」
「それは……そうだけど」
「それにさ、最近噂になってるでしょ、『ソジー』って人喰い女の話。なんでも頬まで裂けた口に赤い牙が生えてて、捕まると喰い殺された上に体を乗っ取られるとかいうやつ」
「そんなの、都市伝説だよ」
私が口を尖らせると、朱音は苦笑いする。
「ごめんごめん、結衣って苦手だったんだっけ、こういう話。もちろん私もそんな化け物の女なんて信じてないけどさ。でも何があったにせよ、凛だって悩みがあったら家出する前に私たちに相談してくれたら良かったのに。友達なんだし」
少し寂しそうに言うと、朱音は椅子の上の両膝を抱えて座り直す。
「いつになったら……会えるのかな」
ぽつりと訊ねる私に、朱音は頬杖をついて小さな溜め息をついて返す。
「実際、しばらくは難しいかも。捜索願の取り下げとか、学校側とも色々と話し合うことになるんだろうし。もしかしたら療養とか精神的なケアとか言って、当分入院させられるかも。ほら、凛の家ってそういう所に厳しいから」
「でも、メールくらいは」
「スマホ取り上げられてる可能性もあるから、とにかく今日の放課後にでも田地川先生に訊いてみるしかないわね。お見舞いにかこつけて家まで行っちゃえば、きっと凛の両親も……」
朱音がそう言い掛けた時、突然教室のドアが開く。
ざわついていたクラスメイトたちの声が一斉に止む。
皆の視線が入口の扉へと注がれる中、いつもと変わらない様子でそこに立っていたのは……藤繁凛だった。
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