6 増殖

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   *  それから数日が経ったが、状況は何も変わらなかった。  何日も続けて休む訳にもいかなかったために高校へはやむを得ず登校するようにはなったが、やはり朱音が家出から戻ってくる気配はなかった。私があの廃墟で殺したのが朱音に姿を似せたソジーだったとしても、結局本当の朱音の居場所も分からないままだ。  だがもし朱音がソジーの生贄になっていたとしたら、おそらく朱音がもう二度と登校してくることはないのだろう。  そしてあの雨の夜以来、真宙からの連絡も途絶えていた。  真宙が隠したというソジーの死体についても、記憶を失ってしまった中学の頃の話についても、何も訊くことが出来ないまま、私はただ苛立ちと焦燥が積もっていくだけの時間を過ごすしかなかった。  だから放課後に担任の田地川に呼び出された時も、良い話でないのはすぐに察しがついた。  生徒指導室を訪れた私に、長机を挟んで座った田地川は静かな口調で告げる。 「野瀬のことは、もうあまり気にするな。羽吹自身のこれからの学校での生活もあるんだから」 「どういう意味です? 居なくなった朱音のことは、もう放っておけと言うんですか?」  憮然とした表情で言い返す私に、田地川は首を横に振る。 「別にそういう訳じゃない。ただ野瀬の家族が警察に捜索願いを出してる以上、我々に出来ることは限られてるんだ」 「結局、何もするなってことじゃないですか」 「そう聞こえるかもしれん。だが野瀬本人の意思はどうなる? 居なくなって数日が経っても、連絡ひとつ来る気配もない。今回の件が事件性のない家出だとしたら、他の人に居場所を知られたくないという野瀬自身の意思表示だとは思わないか?」 「それは……」  口ごもる私を横目に、田地川はオレンジ色の夕陽が射し込む窓の外の景色を見つめたまま言う。 「藤繁の時もそうだった。結果的にあいつは自分で問題を解決し、納得して戻ってきた。それ以上は他人が踏み込むべき領域ではないし、それを拒んでいるのはお前に対する藤繁の態度を見ても明らかじゃないのか?」 「……」  田地川は眼鏡のフレームを指で押し上げると、おもむろに椅子から立ち上がる。 「野瀬のことを心配するお前の気持ちは分かる。だが人は常に変わっていく生き物だ。誰だって明日の自分が今日と同じだと言い切れる自信なんてない。だからこそ、時には周囲がそれを受け入れてやる必要があるんだ」 「でも、私は……」 「羽吹、お前は思わないか? 今日と同じ明日がやって来ること自体が、奇跡じゃないかと」 「奇跡?」  訊ね返すと、田地川は窓際に佇んだまま眼鏡を外す。 「そう。俺は思うんだ。この世界はもしかすると、まるでスイッチでも切るかのように容易く終わってしまうほど不条理なものじゃないかと。人間だって同じだ。一から十まで決められた運命なんてものは存在しない以上、人が人で在り続ける根拠は限りなく曖昧だ。自己なんてものは単なる思い込みで、実際には本当の自分が何者なのかすら、俺たちには分かっていないんじゃないのか?」 「自分が……何者なのか」 「ああ、野瀬はいつか戻ってくる。だがそれがこれまでの彼女と同じ人間なのかどうか、俺には分からない。きっと……彼女自身にも」 「……」
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