9 メビウス【最終章】

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 その日から、私は中学校へ行かなくなった。  学校へ行けば、失ってしまったものの大きさを認めざるを得ないと思った。  だがいくら自分の部屋の中に閉じ籠もっていても、赤い傘をさした佐奈枝の最後の姿が脳裏から消えることはなかった。  前に佐奈枝は言っていた。  ほんの些細な行き違いで、仲の良かった唯一の友達と疎遠になってしまったと。  あれは……私のことだったのだ。  結局、彼女に対するいじめのきっかけを作ってしまったのは私だ。彼女をクラスの中で孤立させてしまったのも、私を別人になってしまったと思い込ませてしまったのも。  彼女を直接的に追い詰めたのは野瀬朱音や藤繁凛だったとしても、その元々の原因は私にあった。ほんのちょっとしたすれ違いを認めてすぐに仲直りしていれば、こんなことにはならなかったはずだ。  メビウスの輪の銀色のアクセサリーは、彼女の形見だった。彼女が好きだったそのリングを、私はずっと肌身離さず持ち歩くようになった。  やっと……私にも分かった気がする。  彼女が何故、存在していないはずの廃墟に私を誘ったのか。  今は更地となっている工場跡の建物に立ち入ることのできた人間は……私の他には二人しか居ない。  真宙と……そして中條佐奈枝。  それにあの幻の廃墟で彼女は真宙と再会し、ましてや言葉まで交わしている。あの場に居た真宙の存在自体が、私の妄想の産物であったにも関わらず。  私が入院している時にも、彼女は言った。真宙のことは残念だった、と。  すでに死んでいて出会えるはずもない真宙のことを、彼女は知っていた。  そう考えれば……結論はひとつしかなった。  私の見た妄想を認識することの出来る人間……。  そう。  彼女もまた……私の見た幻だったということだ。  藤繁凛に詰め寄る私を押し留めたのも、学校を休んだ私の家に見舞いに来たのも、あの廃墟でカプグラ症候群の話をしたのも――。  全ては私の作り出した幻覚だった。  だからこそ、真宙と中條佐奈枝の間にメビウスの輪という共通した符号が現れたのだろう。二人の存在はメビウスの輪でいう表と裏、妄想における生と現実での死を暗に指し示していたのかもしれない。  私がカプグラ症候群という現象を知ったのは、部屋に引き篭もっている間に、佐奈枝が死ぬ間際に言ったソジーのことを調べていた時だった。  すでにあの頃から、私の中にもその兆しは生まれ始めていた。まるで佐奈枝の意思を受け継ぐかのように。  学生たちの間に人喰いのソジーに関する噂が広がったのは、その後の話だ。『ソジーの錯覚』と呼ばれる身近な人間が別人に置き換わってしまったと思い込む現象と、喰らった生贄と入れ替わるという赤い牙をした女の怪異譚が入り混じり、私の虚構の世界の中でひとつの現実として作り出されてしまったに違いない。
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