ナツヒの眼差し

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「平民に扮し馬に乗って、西の方へ、できるだけ遠くまで逃げて、必ず生き延びろ。今すぐ兄上に言いに行け」 「私がアヅミを助けなきゃ……」 「あいつはしくじった間者なんだ。とっくに覚悟はできてるよ」 「でもアヅミは、この国のしきたりに翻弄された女子だよ!」 「お前は女が男と同等に認められる世を求めてるんだろう? なら同等の責任を負うことも厭うな」  ユウナギは反論できず目を逸らした。 「兄様が逃げるなんて道、今更受け入れるわけないでしょう……」 「だからお前が共に逃げると言うんだ。お前を生かすためにふたりで逃げると命令すれば背かない。逃げた先も地獄だろう。それでも兄上はきっと、何としてでもお前を守るから」  言いながらナツヒは、ユウナギの顔に両手を添え前を向かせた。だから彼女は彼の目を見て問う。 「なんで兄様とって言うの? 私の護衛はあなたでしょ?」 「……お前は兄上を死なせたくないだろ?」 「それはもちろん。だけど私はあなたも失いたくない! どっちがなんて言えない、あなたも大事!」  ユウナギの語気が強まった。 「……死ぬのが怖くなるようなこと言うのやめろ」  小さな声で呟いた彼は目を逸らし、彼女の顔を押さえる手を離した。  ナツヒが離れていく。 「俺はお前たちより半日早く発つ予定だから、とにかくすぐ言いに行け」  いったん立ち止まり背を向けたまま、そう念を押した。続けて、 「俺は今から、俺が開戦の矢を射る準備に取り掛かる。女装でもなんでもしてやるよ。その瞬間ぐらいは誤魔化せるだろ」 こう言う彼に、ユウナギは何も言葉を掛けることができない。 「あ、あとさ」  まだ言い忘れたことがあったようで、結局振り向いた。 「お前は負け戦に兵らを巻き込んだと自分を責めてるんだろうけど、兵は兵になった時点で、戦いに身を投じ命を落とす覚悟のある生きものなんだ。だからこの職が存在する。これに就いた時点でとっくに各々の責任だ。それに、敵国(あっち)に同盟結ぶつもりなんて毛頭なかったよ。お前が、国がどう対応しようと、戦への流れが変わることはなかったんだ」 「ナツヒ……」 「これが今この国を生きる兵士の運命だ。みな。もちろん、俺も」  そして彼は足早に行ってしまったが。ユウナギは「分かったな?」と頭を撫でられた気がした。  それからしばらく物思いに耽って過ごしていた。ナツヒの言葉を反芻(はんすう)していた。  ついには意を決し、丞相の館、トバリの自室に向かう。  彼の室前に着く頃、落ちる日は美しい橙色をしていた。帰りたい、と感じるような、広く澄んだ夕空だった。
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