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この世のほかの思い出に
「ユウナギ様?」
声もかけずに戸を開けると、トバリは篝火の元で書写をしていた。恐らく心を落ち着かせるためだ。
「ここだと思った。もう仕事はないものね?」
言いながらユウナギは、彼の隣に腰を据える。
「セキレイたちは無事かしら……」
「力は尽くしました。あとは祈るのみです」
「そう。私も祈るわ……」
トバリは横目で彼女を見た。彼女は今にも何かを言い出しそうになって、そして口をつぐむのだ。こちらから問いかけるのも、と彼は考え、待つ姿勢であった。
そのうち日は沈み、室内は篝火が頼りの暗がりとなった。彼女はきっとそうなるのを待っていたのだろう。薄明かりの中、表情が見たいなら正面から向き合わなくてはならない、そんな空間になるまで。
「兄様」
「はい」
ユウナギは息を呑んだ。今にも胸が弾け飛びそうな、抑えきれない思いを抱いて、これを口にする。
「今すぐここで、私をあなたの妻にして」
「……妻とは」
「女に言わせるの?」
じっと見つめる彼女の瞳が、彼には輝いて見える。涙ぐんでいるのだろうか。
彼は迂闊だった。彼女が死を前にそう言いだすのは、予想の出来た事なのに。
「もう神の力は必要ない。国を救えない、こんな役立たずな私の力なんて必要ない。でも私は最後まで力を持つ女王を演じる、それは約束するから。お願い」
ユウナギは顔をより近づけた。すると切ない彼の表情が見える。
「この世を生きた思い出に、一度だけでいい。私を抱いて」
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