第40話

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第40話

 それから、風紀の摘発案件数は劇的に減っていった。  協力してくれる部活動が、非常に積極的にパトロールを買ってでてくれたのだ。  事件が起きやすい運動部の倉庫には鍵がかけられたことも大きい。部室の鍵も、南京錠を用いて二重にした。やはり、人の目がたくさんあるというのは、大きな抑止力なのだと心から手伝ってくれている部活動のメンバーに感謝した。そして、それだけ人の心を動かせる総一郎の人望にも、改めて関心させられた。俺にはできない。ますます尊敬の念が高まってしまう。  さらに、生徒会親衛隊の協力もあった。くまなく情報を精査し、風紀に流してくれた。「私たちで、由愛さまの仇を必ず取りましょう」とチワワのような愛らしい少年たちが集まって、おー!と血気盛んに働きまわってくれた。  それらを見る度に、これだけの人たちが学園を愛し、平和のために力を惜しまないで協力してくれているのだと、胸がいっぱいになる。  活動が終わり、最後に風紀室で報告書をまとめながら、そんなことに思いをはせらせ、感動でゆるゆると視界が潤み、ず、と鼻をすすると、すぐさま目の前にいた理央がティッシュを差し出してくるようになった。毎日のように鼻水のネタを引っ張り出してくる理央の肩を殴る。そうして痛いと大騒ぎする理央と笑い合える日々が戻ってきたことが、今の俺の心の支えとなっていた。  九月も終わりに近づき、このまま部活動メンバーの継続をどうするかと総一郎と相談していた時だった。  放課後になり、風紀委員が各持ち場にパトロールに出払ったあとだった。携帯が震え、何かと思うと相手は珍しい人物だった。 「え?佳純?どうした?」  今まで、佳純から電話をかけてくることなんて、一度もなかった。この珍しさが逆に怖い。 『文化棟前、行事用倉庫』 「は?」  何かから隠れるようにひっそりと告げられた言葉に、何だ、と聞き返す。 『相手は五、六人いるぞ。急げ、間に合わなくなるぞ』  佳純の低く強い声色に、事態を把握し、急いでインカムを取る。近くには、宇津田たちがいる。 「宇津田、聞こえるか!至急文化棟前行事用倉庫に向かえ。繰り返す、至急文化棟前行事用倉庫に向かえ!」 『了解』 「奥野、沖原チームも応援に行ってくれ。文化棟前行事用倉庫、事件発生だ、急げ!」  両チームからも了解との声が返ってくる。  じり、と手に汗がにじむ。  摘発案件数は減少した。しかし、ゼロにはならなかった。むしろ、事態は深刻だった。なぜなら、未遂で済まなかった事件が増えてしまったからだ。今まで、事案数は多かったが、ほとんどを未遂で食い止めていた。パトロールや人の目が厳しくなり、より目のつかない難しい場所で事が起こるようになってしまったのだ。そのため発見が遅れてしまう。事後で、すでに加害者が立ち去った状態で発見されたことも一度だけあった。  どうにか、間に合ってくれ。と、歯を食いしばって祈ることしかできない。ザザ、とインカムから電子音が聞こえて、耳をすませる。 『こちら宇津田。加害者七名、全員確保』  よし、と小さくガッツポーズをとる。後ろで男たちの喚き声が聞こえる。「あいつがいけないんだ」「あいつが誘惑してきた」「俺達は悪くない」そうした怒声に、腸が煮えくり返ってくる。 『被害者は…今から、保健医に受け渡す』  は、と息が詰まる。力なく椅子に倒れ込む。  見ただけの手当てなら俺達がほどこしたあと、保健室に連れていく。しかし、保健医、という言葉を使うのには、風紀の中で裏の意味が持たされていた。  間に合わなかったのだ。 「…お疲れ。皆にケガはないか…?」 『ああ、無事だ…って、おい、沖原、俺の分も残しといてくれよ』  無事を報告する間に男の汚い叫び声が聞こえた。後半の言葉は言い切られる前にインカムが切られてしまう。また、沖原のスイッチが入ってしまったのか、と溜め息をつく。沖原は正義感が強い。しかし、もともとの気質なのか、でかくてしかも悪い男を調教するのが好きらしかった。どんなに喚き立て、周りを侮辱し続けるアルファの大男たちでも、沖原の手にかかってしまえば、ただの抜け殻になって送られてくることが多かった。宇津田も調子に乗って、暴れすぎてくれるなよ…と心の中でつぶやく。むしろ、俺の分だって残しておいてほしい。被害者の分だけ、殴らせてほしい。殴ると見た目でバレてしまうから、やっぱり関節技がいい。ボキ、と指の関節が鳴ったのに気づいて、は、と我に返る。いけない、正義の味方が非人道的な拷問のようなことをしているなんて、ありえないのだから。誰にも知られてはならない。  ドアが開くと曽部が入ってきた。 「曽部先輩…」 「ここは俺が替わる。凛太郎は、あっちに行ってくれ」  つけていたインカムを外し、曽部のものと交換する。礼を伝えて、風紀室を出ると、まず保健室へと足早に向かう。  保健室を出ると、現場に向かう。  殴打の跡が痛々しい男は、小さく蹲って震えていた。声をかけても、焦点の合わない目で、「ごめんなさい」と言い続けるだけだった。それ以上は何もできず、踵を返した。  なぜ、何も悪いことをしていない彼が、謝らなければならないのだ。  ただ、オメガに産まれただけなのに。  なぜ、アルファは我が物顔でオメガを虐げるのだろうか。  由愛の時もそうだった。由愛は、自分が悪いと言い続けていた。最近、ようやく数週間ぶりに意識を戻したが、彼はあの時のことを忘れているらしい。強過ぎるショックにより、記憶障害を起していると聞いた。おそらく、これで由愛が被害届を出すことはなく、加害者たちは親に叱られる程度で、平然とした顔でまた学園に戻ってくるのだろう。そんなこと、許されていいはずがない。  この怒りを、今日の加害者にぶつけたい…と薄暗いことも考えてしまう。ずんずんと足を進め、現場に着くと宇津田が教師の対応をしていた。俺を見つけると、教師に挨拶をして、俺のもとへ来てくれた。 「もう、あいつらは渡しちまったのか…」 「あとちょっと早ければ会えたぜ~、でも」  教師をちらと見てから、俺の耳元で小声でつぶやく。 「も~沖原のドエスモードがとまんなくて、さすがの俺も足一本で我慢してやったぜ」  今、怪しんだ先生に説明してたとこだ、とにやりと宇津田が教師に背中を見せながら笑った。俺は溜め息をつく。 「おい…」 「え?りんちゃんもおこモードなの?」 「当たり前だ…」  声を落として宇津田に顔を寄せる。 「俺のヒールホールドがなまっちまうだろうよ」  びく、と顔を離した宇津田は、涙目で以前、俺に技をかけられた左膝を抱きしめながら、沖原と同じ眼をしている…とつぶやいた。あんなに残虐な光のない目はしていないはずだ。  ふと視線を落とすと、無惨に壊された施錠のための鎖と南京錠がある。それを拾い上げると、刃物かなにかで切り落とされたように見えた。 「ここも鍵のつけ直しだな」  溜め息をつくと、既に奥野が向かってくれているとのことだった。  倉庫内に一歩足を踏み入れると、倉庫の埃の臭い。アルファとオメガの臭い。精液と血の臭い。とにかく不快な臭いで立ち込めていた。こうした現場を五感で体感すると、さらに腸が煮えくり、気合いが入る。やっぱり、ヒールホールドで音がするまでしっかりと、締め上げたかった。  後は宇津田に任せて、文化棟の中へ入る。  書類上「科学文芸部部室」とされている教室へ向かう。ガラス窓から覗くと、埃をかぶった机と椅子が片隅に集められており、人影は見えない。しかし、俺は軽くノックをして、静かにドアを開いた。  机に隠れるように、二人の男がいた。  膝に小さな頭を乗せて、横たわっている小柄の愛らしい小動物のような少年と、その膝もとを貸している美丈夫だ。少年は寝ているようだった。  久しぶりの再会を喜びたいところだが、美丈夫は相変わらずの無表情で俺を見た。もうちょっと歓迎してくれてもいいんじゃないのか、と口角を上げながら溜め息をついた。 「連絡、助かったよ」  佳純に、そう礼を伝える。 「……風紀もご苦労なことだな…」  溜め息混じりに佳純が低くつぶやく。 「いやあ、転校生様のおかげで腰を下ろす暇もございません」  たはは、と笑ってやろうかと思うが、佳純が宝物のように、膝にある小さな頭を撫でているのを見てやめた。 「これが、噂の七海ちゃんね…何かあったか?」  その場にしゃがみこんで、顔を覗く。睫毛が長い影をつくり、潤んだ桃色の唇からは、すうすうと寝息が聞こえる。オメガらしい庇護欲そそられる愛らしい佳純の思い人を見つめる。 「いや、現場を見て、ショックを受けたらしい…」 「そうか…」  苦虫を噛んだ気分になる。被害を受けるのは、事件の当事者だけとは限らない。俺たちが気づいていないだけで、傷ついている人がいるのか、と気づかされる。 「なあ、早く、佳純が…」 「その話は何度も断ってる」  メンバーの候補は出ている。しかし、会長が決まらなければ、前には進めない。  佳純に、もう一度打診しようとするが、ばっさりと断られてしまう。溜め息ながらに立ち上がる。 「でも、このままじゃこの学園は終わりだ…」  目線を上げずに手もとの七海を見つめる佳純に向けてつぶやく。  傷つく人も減らない。 「…それじゃ、お前のお姫様も困るだろ?」  もう、傷つく人を見たくない。 「…だからこそだ」  今は、七海のそばにいたい…。そう甘く囁く佳純に、目を見張る。七海は、ん、と眉根を寄せて、もじもじとすると、寝返りを打って佳純に擦り寄った。それに、うっとりと微笑む佳純は、見たことのない表情で、信じられず、何度か瞬きをして、目をこすったが、変わらない。 「ったく、なんだその緩みきった顔は…」  はあ、と大きく溜め息をつく。あの冷徹男が、こんなに絆されてしまうなんて。  やはり、アルファとオメガ、もっと言うと、運命の番、というやつは、俺には計り知れない深い深いつながりがあるのだと見せつけられる。ちり、と記憶の底に追いやった、生徒会寮での二人の痴態を思い出しかけて、目を覆い、振り返る。 「…どうであれ、この学園には、佳純しか残されていない」  胸元でぶる、と携帯が震えたと思うと、着信を告げる音が鳴り響く。ディスプレイをろくに確認もせずに、すぐに出てから、後悔する。 『りんりん?』
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