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「こんばんはー!」
居間のほうから声が聞こえる。
出迎える気にはなれなかった。
熱した油の中に、衣をつけたアジを投入する。
パチパチ、じゅわじゅわ。
パチパチ、じゅわじゅわ。
パチパチ、じゅわじゅわ。
「清和さん?」
足音が、キッチンの方に近づいてくる。
私はそれにお構いなしに、付け合わせのキャベツを切る。
ざくっ。
ざくっ。
ざくっ。
「すんません、返事がなかったんで、勝手に上がらせていただきました」
入口に掛かる暖簾を持ち上げて顔を出した。
「由紀也くん」
「はい?」
「あのとき、なんで謝ってたの?」
「え?」
ゆっくりと振り返ると彼の顔は強張っていた。初めて会ったあの日も、そんな顔をしていた。
「何に対しての謝罪?」
「……」
「おじいちゃんを、殺したの?」
「……っ」
ハッと息を飲む。青ざめた顔をじっと見つめると、「ごめん、なさい」殆ど声になっていない、掠れた声で謝る。
「ちがう、違う! 俺は……」
ふるふると、形のいい唇が震える。見開かれた瞳孔は、焦点が定まらずに揺れている。
「こ、殺してない……! 俺は……っ!」
ふらふらと、歩いてくる彼を振り返る。ぐっと胸倉を掴まれて、息が詰まる。苦しさに顔をしかめると、ぐいっと彼の顔が近づく。
「俺は殺してない。ただ、じいちゃんが、勝手に苦しんで、勝手に死んだだけだ」
突き放されて、そのまま床に倒れこんだ。お腹の上に跨ったかと思うと、拳が落ちてくる。がんっ! と衝撃が走って、星が散った。殴られた場所が、熱を持つ。
「俺じゃない! 俺は殺してない!」
ゴツッ。
ゴツッ。
ゴツッ。
ゴツッ。
行きつく間もないほど、拳が落ちてくる。
痛くて、怖くて、許せなくて。気が付けば、手に握ったままの包丁を突き刺していた。
「う、」
ずぶり、鋭い刃が肉を切るる感触、埋まる感触が、柄を伝って掌に感じる。 じわじわと、生暖かいもので腹部が濡れた。どんどん、どんどん、濡れていく。服が、床が、赤く染まる。
コンロの上で、パチパチと油が弾ける音がする。
————ああ、火を止めなきゃ。
そう思ったのを最期に、ぷつっと意識が途切れた。
【完】
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