想い出の香り、おつくりします

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「できましたよ。ベルガモット特製の練乳缶キャラメルです」  ベルガモットの宣言通り、夕飯を食べて程なくしてテーブルに練乳缶がどんと置かれた。ベルガモット曰く、缶のまま弱火の湯にかけるだけでキャラメルができるのだそうだ。ムラにならないよう途中で缶の向きを変えたりといったコツを要するらしいが、他には特別に何もしなくていいという。出来立てをすぐに開けると熱で缶が破裂してしまうようだが、ベルガモットは冷ます工程までしっかり済ませていた。 「では開けますね」ベルガモットが華子の前で缶を開いた。小気味よい金属音と共に甘いキャラメルの香りが広がる。その時だった。義彦の脳裏に再び記憶の欠片が蘇ってきた。 ―――……なんか、いなくなればいいんだ。  甘い香りと同時に残酷な記憶の波が押し寄せる。赤と白の缶。牛の顔。幼い女の子。母の泣く声。たくさんの薬と病院からの書類。甘いキャラメルの香りは、それだけなら幸せな香りだが、義彦にとってはそうではなかった。むしろ、二度と思い出したくない香りだった。そんな義彦の気持ちなど知らずに、華子はキャラメル缶を前に嬉しそうな表情をしている。そんな華子を見て、ベルガモットまでが満面の笑みを浮かべている。戸惑う義彦を前に、ベルガモットと華子は嬉しそうな顔を崩さない。むしろ華子は銀のスプーンを義彦に渡してきた。 「義彦さん、華子ちゃんが一緒に食べましょうって言ってます。良かったですね」 「……ろ」 「え? 義彦さん?」 「……やめろ」 「どうなさったんですか?」  ベルガモットが不思議そうに義彦を見る。スプーンを差し出した華子の動きが止まる。義彦の呼吸が荒くなる。  その香りは嫌いなんだ。二度と思い出したくない過去を思い出すから。だから、その香りを俺に近付けるな。 「やめろって言ってるんだ!」義彦は華子のスプーンを手で払った。スプーンは乾いた音を立てて床を滑っていく。華子は特に動じることもなく、義彦をただ見つめる。ベルガモットはやや戸惑っている感じだが、取り乱す義彦を見ても冷静さは欠いていないようだ。    何故だろうか。二人のそんな様子が、まるでこうなることを知っていた、あらかじめ予想していたかのように見える。居たたまれなくなった義彦は部屋を飛び出した。裸足のまま玄関から外へ出る。このままどこかに行ってしまおうかと思ったが、医者から絶対に安静と言われたのを思い出し、どうにかその場に踏みとどまった。閉めた玄関扉に寄りかかり、その場に座り込んだ。  昼の熱が残る静かな夜だった。あの日とは真逆の。あの日はとても寒かったのを覚えている。あんな言葉を吐き出してしまってから、あの幼い女の子はいなくなり、そして義彦自身も、家族たちも完全に冷え切ってしまった。泣きたいのに涙は出ない。義彦は顔を手で覆った。このまま夜に溶けてしまいたい。そんな思いが心を覆いつくす。今まで無気力な日々を過ごしていたが、こんな荒んだ気持ちになるのは久しぶりだった。
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