想い出の香り、おつくりします

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 その時、扉の向こうに人の気配を感じた。開けようとしているが、義彦が扉にもたれかかっているから完全に開くことはできない。わずかな重みを感じて、義彦は反射的に立ち上がった。扉を開けると華子がいた。月灯りを浴びる華子の姿だけがぽっかりと浮かんでいる。 「……ごめんな、華子ちゃん」一旦外に出て頭が冷えたのか、素直に華子に謝罪することができた。華子は首を横に振る。気にしてないよ、そう言っているようだった。義彦の腕をそっと掴み、家の中に誘導する。リビングのある方角を指差している。ベルガモットが呼んでいる、そう言っているのかもしれない。 「そうだな、ベルガモットさんにも謝らないとな」義彦はのろのろと玄関に入り、リビングへと進んだ。 「ベルガモットさ……」リビングに入った義彦は言葉を失った。室内だというのに全体が霧のようなもので覆われている。義彦が外に出ていたのはほんの数分に過ぎない。まさか火事? 嫌な予感が一瞬よぎったが、燃えている物は何もない。何かが焼けているような臭いも皆無だった。何があったのだろうか。気付くと一緒にリビングに入ってきたはずの華子もいない。 「ベルガモットさん。華子ちゃん」二人の姿が見えないことに不安が押し寄せる。名前を呼んでどこにいるのか確認した。すると、わずかだが霧が晴れたような気がする。リビングの奥の方からベルガモットの声がした。 「義彦さん」 「ベルガモットさん、そこにいたんですね」隣にはきっと華子もいるのだろう。声のした方に進む。 「想い出の香り、おつくります」 「え?」 「あなたの想い出の香りは、こちらですね」 「ベルガモットさん? 想い出の香り? つくるって何のことですか?」  義彦が問いかけるとさらに霧が薄まってきた。正面にベルガモットが立っている。わずかな笑みを浮かべて義彦を見ている。手には小皿があり、丸い石が乗っていた。その丸い石の上に手をかざす。スポイト状の小瓶から一滴、二滴と雫が石の上に落ちる。夜空に浮かぶ星屑のようにキラキラと光っている。その様子に見とれていると、甘い香りが部屋中に広がってきた。  キャラメルの香り。その濃い香りに包まれていると、急激な眠気が襲ってきた。義彦の意識がすうっと薄まっていく。怖いとは思わなかった。夜の海にポツンとひとりで浮かぶように、遠ざかる意識に身を任せてみた。
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